腕時計の普及は「正確なタイミングで両手で武器を扱うため」
1947年に、マーティル・ラングスドーフが『原子力科学者会報』に掲載するために「運命の時計」をデザインしたとき、彼女が描いた核の不安のシンボル――午前0時まで7分のところに合わされた時計――は、時間が急速になくなっていることを感じた世の中を表わしていた。
それ以来、時計の針は頻繁に動かされ、世界に終末が迫っていることへの懸念の度合いが反映されていた。2020年1月23日、同会報の諮問委員会はこの世界終末時計の分針を真夜中まであと100秒にまで進めた(2021年、2022年の発表でも依然として残り100秒のまま:訳注)。これまでになく差し迫った位置だ。時計は、時間がなくなれば何が起こるかを思いださせるので、核によるハルマゲドンについて私たちに教える。
個々の時計を超えた先を見て、すべての計時装置がいかに戦争からの要求によって形づくられたか、それらがまた私たちにも影響をおよぼしてきたかを考えることもできるだろう。私たちの多くが日々身に着ける腕時計は、戦争に多くを負っている。
1899年から1902年の南アフリカ戦争と1914年から18年の第1次世界大戦のさなか、兵士たちが懐中時計を腕に巻きつけ始めた。武器が使えるように両手を自由にしたまま、攻撃の波のタイミングを計れるようにするためだ。
腕時計はそれ以前も存在したが、女性の装身具として、もしくはサイクリングや馬術を嗜む女性によって使われるものだった。だが、戦争によって腕時計は男女兼用の製品となり、市場が倍になり、懐中時計製造業はたちまち末期的な衰退に陥ることになった。今日の何十億ドルもの腕時計産業は、2度の野蛮な戦争の背後で築かれたのである。
時計が戦争を効率化させ、夏時間も生み出した
さらにズームアウトすれば、私たちの多くが生活を送る時間のパターンが、いかに戦争の要求によってじかに影響を受けてきたかも見えてくるかもしれない。戦争は、世界人口の4分の1が毎年2度実施している時間の慣習に、消えることなく刻まれている。先に、夏時間について見てきた。夏季のあいだ1日のなかで目覚めている時間を少しだけ前にずらすために、時計を進める慣習である。
このアイデアを民間の奇妙な思いつきから軍事的な必要性に変えたのは戦争だった。2度の世界大戦で、軍需物資の工場がフル稼働し、照明や動力用の燃料が不足していた時代だ。私たちはここに、最も広範にわたって時計が戦争を効率化させ、それが平時のパターンもつくり変えた実例を見ているのだ。
こうした事例も、その他無数の事例もひとえに技術の発展は往々にして戦争を触媒とし、加速し、具体化してきたことを私たちに思いださせ、時計がそうしたことすべての中心にあることを示しているのである。時計はつねづね弾丸や爆弾と同じくらい、軍事兵器の一種だったのだ。だが、GPSは歴史上のどんな軍事プロジェクトにも増して時計を兵器化してきたので、衛星用の時計製作所について少々知っておくのは価値があると私は考える。