人間が生まれながらに持つふたつの本能

人間にはふたつの本能がある。それは、「怒り」と「共感」だ。人間は生き残るために、いわば「戦う本能」と「仲良くする本能」のふたつを維持してきた。

怒りの本能とは、自分に危害を加える者に対して怒り、戦い、もし仲間がやられたら復讐するモードのことを指す。

はるかむかしの人類を想像するとわかるだろう。凶暴な獣が目の前に現れたとき、戦わないとやられてしまう。だから、獣と戦う本能が人間には備わっている。

この本能は、現代においては「勝ちたい」という本能に転化される。子どもの頃も、大人になってからも、「他人に勝ちたい」と思う人は少なくないであろう。個人差はあるものの、力や暴力によって勝ちたいという本能のみならず、成績やスポーツで他人に勝ちたいという気持ちも人間には備わっている。社会を見ると、この戦う本能にドライブされて生きている人は多いように思われる。

一方、人間の脳には共感の本能も埋め込まれている。

目の前に現れたのが獣ではなく、もし人懐っこい犬だったらどうだろうか? 人間は犬とは仲良く暮らせることを学び、危害を加えたり憎んだりせずに済む。いや、場合によっては獰猛どうもうな獣とだってともに暮らすことができるはずだ。

ましてや相手が同じ人間なら、親が子どもを育てるときの本能のように、相手の気持ちになって共感したり、互いにいたわり合ったりできるはずだ。

20万年前から人間は進化していない

話を戻すと、人間は被害者に共感することができるが、同時に加害者にも共感できる本能も持っている。

「この犯人は許せない」「この人間は心が歪んでいる」と憎むこともできれば、「未熟さゆえにこんな罪を犯したのだ」「親からの虐待や社会の激しい格差のなかで育ったから、こんなことをしてしまったのだ」と想像し、共感することもできる生き物なのである。

ほかの動物にこんなことは到底できない。

いま目の前に危機が迫っている場合は、まず「戦う本能」が発動するだろう。凶暴な敵がやってきたときに「仲良くしよう」と思っていると自分の身が危うくなるため、先に戦う本能が発動するからだ。本能と本能とのせめぎ合いでは、怒りや「許せない」という復讐の感情のほうが先に出るだろう。

そんな、自分を守るために相手を敵として憎む本能と、みんなと仲良くしてコミュニティを安心安全に保つ本能――。どちらが発動するかで結果はまるで違うものとなるし、まるで異なる社会になるというわけだ。

いずれにせよ、わたしたちが狩猟・採集生活をしていた頃の本能が、現代社会でも変わることなく働いていることは間違いない。いってみれば、わたしたちは20万年前から進化していないのだ。

人類の進化のイラスト
写真=iStock.com/Man_Half-tube
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だからといって、狩猟・採集時代の本能を、いまわたしたちはき出しにすべきだろうか?