「経済の合理性だけでは語り得ないものがある」
1979年生まれの相原さんは18歳のとき、「平飼い」と呼ばれる放し飼いで鶏を育てる養鶏場を見て「これだ」と思ったという。もともと動物好きだった相原さんは「人間の不要物を食べ、肉を提供してくれる豚」に注目し、「豚が担ってきた本来の役割を見直そう」と養豚の道を選んだ。
「スペインのイベリコ豚はどんぐりを食べて育ちますが、春夏の太陽エネルギーを浴びて育ったどんぐりを、秋には豚飼いの少年が木の下に豚を放して食べさせるという『合理的な循環』が昔からありました。経済の合理性だけでは語り得ないものがあるのです」(同)
強い農業のモデルとされるような、欧米豪の「輸出向けの一大生産地」では、かえって小規模な資本が参入できる空間は少ない。日本の農業空間は、幸か不幸か産業として大資本から見放されてきた分、個人の生産者や小資本が新規参入できる隙間があちこちに残されていた。相原さんの「こだわりの養豚空間」も、そのニッチに芽生えたものだと言える。
前出の柴田明夫氏も「頭数こそ少ないが、エサや環境にこだわった養豚業は、共感してくれる顧客を持っているのが強み」だと語る。
日本だからこそ輸入に頼らない養豚ができる
日本の養豚業においても大規模化が進み、2000頭以上を飼育する生産者が増加する一方で、2000頭未満の生産者は減少している。小さな生産者はどんどんと淘汰される傾向にあり、神奈川県西部で残っているのは相原さんの養豚場だけだ。仮に存続していたとしても、輸入飼料の高騰というこのご時世では経営環境はますます厳しい。
もとより、相原さんの農場は母豚の数が3~5頭なので、経営的に余裕があるわけではない。だが、輸入飼料に依存していないため、餌の価格変動の影響は受けていないし、国際情勢の変動にも振り回されていない。相原さんは「しょぼしょぼやっている」と謙遜するが、地元の餌を食べて育った豚を地元に還元するというやり方が全国でできれば、資源の少ない日本でも持続可能な畜産業が可能なのではないか。
いずれウクライナ戦争が終結したとしても、中国の爆食は変わらないし、地球全体に課された問題は増える一方だ。こうした中で、動物福祉的な観点と食料や資源の循環という社会的課題を経営に結び付けるこの養豚場が持つ意義は、決して小さくはないといえるだろう。