息子思いの善良な父という姿
この父子は、源義経に伴われ、鎌倉から京都に向かう途中で斬られることになる。
道中、死を覚悟した清宗と違い、宗盛は助かるのではないかとの希望を持ち続けていたようだ。
ところが、近江国篠原の宿に到着したところで、父子は引き離される。
宗盛は斬られる直前になっても、本性房湛豪という僧侶に向かい「清宗はどこにいるのだろう。たとえ首を刎ねられても、骸は同じ筵に横たわろうと約束していたのに。早くも、この世で別れてしまったとは悲しいことだ。この17年間、ひと時も離れず、京や鎌倉で恥を晒してきたのもあの清宗のためなのだ」(『平家物語』)と語ったという。
息子思いの善良な父ではないか。確かに宗盛は、傑出した指導者でなかったかもしれない。しかし、絶対権力者だった清盛亡き後に衰退した平家の勢力を、一時でも回復させたのは彼である。その事は、評価して良いのではなかろうか。
また、性格もそれほど悪い人のようには思われない。宗盛は「愚将」と評されて久しいが、名誉回復がなされても良いのではないか。