選択的夫婦別姓の問題に私がこだわる理由
なぜ選択的夫婦別姓の問題に私がこだわるのか。それは、女性の「生きづらさ」を解決するために、これが「一丁目一番地」のように感じるからだ。
選択的夫婦別姓の問題は、主に女性が結婚とともに夫の姓への改姓を事実上、強制されることによって、社会的に不利益を被る問題として語られることが多い。もちろんその問題は大きい。しかし、それだけではない。氏はその人の人格を構成する重要なアイデンティティの一部だ。改姓に抵抗のない人もいるが、改姓によって、それまでの自分の人生が否定されたように感じる人もいる。この感覚は私には経験はないが、よくわかる気がする。もちろん男性が改姓してもいいわけだが、実際には女性が改姓するケースが96%と圧倒的だ。女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ、自己喪失感を持つという問題を、放置していいはずがない。なぜ女性だけが、生まれながらの姓で生きることが許されないのか、説明がつかない。
改姓した女性が感じた感覚
私の学生時代からの友人で医師の女性は、結婚後しばらくは事実婚だったが、結婚から10年たったころ事情があって入籍した。医師免許も改姓し、旧姓を通称として使って仕事をしている。後になって医師免許証は旧姓使用ができることを知ったが、当時、不勉強でそのことを知らない県庁の役人に言われるままに改姓手続きをしてしまったという。
「結婚に伴う改姓について女性のコメントが、ある日、新聞に掲載されていた。銀行や運転免許証、一つ一つ改姓の手続きをするたびに自分が消えていく感じがする、と書かれていた。
『ああ、まさにその感覚』と思った。何とも言えない喪失感。旧姓時代に築いてきたキャリアやそれに至るまでの受験勉強も含めた努力が消えちゃうんだよ。この名前で頑張ってきた自分を、自分で抹消しなくちゃいけないなんて悲しいよね」と友人は言う。