一方でわれわれの思考は、自分たちがこの世の有限な存在であるという自覚から出発しているとデカルトは言う。われわれは、有限という概念を自分たちが知る有限のもの、自分たちの有限の知性に基づいて構築している。だから、人間が自分たちだけで考えるかぎり、無限という概念にはたどりつけない。よって、われわれのもつ無限という概念は、有限の存在を超えたものから与えられたものである。つまり、神は存在する。

存在論的証明と呼ばれる神の証明

これが「存在論的証明」と呼ばれるデカルトによる神の存在の証明であり、アンセルムス〔1033~1109。神学者、哲学者〕の影響を色濃く受けている。アンセルムス自身も著書『プロスロギオン』のなかで、神という概念から演繹法で神の存在を証明している。抽象的な思考の実験という意味で、デカルトは彼の後継者であり、有限な人間が無限という概念をもっているのはなぜか、という単純な発想から出発し、誰にでもわかる段階的な検証を経て、無限の存在である神が必然の存在であることを示そうとした。

もちろん、理性を重んじるデカルトの本質と信仰の折り合いはどうなるのかという問題は残る。『方法序説』であげた最初のステップは「確実なことから出発する」だった。数学的な真理も最初の明証を土台にしている。

だが、そもそも私たちはどうしてそれが明白な証拠だとわかるのだろう。デカルトならこう答える。神が人間に「生得観念」を授けた。そのおかげで私たちは第一確証を認識できるのだと。

だが、もし「生得観念」によって、段階を追い神の存在証明に達するのならば、神のおかげで神の存在を証明することになってしまう。これでは存在証明というより、仮説をもてあそんでいるだけではないだろうか。

想像は経験の組み合わせ

神の存在論的証明が説得力のあるものかどうかはともかく、無限と有限をめぐる弁証法的な考察は常に繰り返され、多くの人を惹きつけている。人の思考には限界があるが、無限という概念は存在する。思考に限界があっても、人間にはもう一つ限界を知らない力があるとデカルトは言う。どんな力だろう。

想像力のことではない。人はしばしば自分たちが無限の想像力をもち、純粋なファンタジーの世界をどこまでもつくりあげられると思っているが、それは誤りである。デカルトに言わせれば、想像というのは常に現実に存在するもの、自分で経験したことを組み合わせているだけなのだ。