県議団を夕食会に招いたのは、サンフランシスコを本拠とするベクテル社。全世界の原子力発電所の半分近くと石油メジャー精製プラントのほとんどを建設し、ほかにも無数の大型ダムや火力発電所を建設してきた株式非公開の超巨大ゼネコンである。かつて、同社の社長と副社長からレーガン政権に入ったシュルツ国務長官やワインバーガー国防長官は、“任”を終えた後に再び同社役員に戻っている。株式非公開のゼネコン役員が時の政権で当該分野を所管するトップに就くなど、日本では到底考えられないことだ。世界帝国アメリカの「国務=外交」と「国防=軍事」のトップの座をあからさまに支配できるほど強大な政治力があるということである。

辺野古沖の軍事施設計画図(真喜志氏蔵)。辺野古案が浮上する直前の1998年に米ベクテル社がつくったとされ、滑走路と軍港が描かれている。

このベクテル社が作成したと見られる軍事施設の建設計画図がある。長年にわたって米軍基地を調査してきた在沖建築家の真喜志(まきし)好一氏に、建設関係者から送られてきたものだ。計画図に描かれた建設予定地は辺野古沖。そこには滑走路や軍港が描かれている。しかも、作成されたのは98年。一方、辺野古が代替地候補として挙げられたのは99年秋である。辺野古への移設案は米側から仕掛けられた疑いが強い。

実はこれにはマスタープランがある。その存在を知った真喜志氏は、そこから米側の巧妙な仕掛けをこう推測する。

「米海兵隊が辺野古に軍事施設を起案したのは、ベトナム戦争で北爆を開始した真っ只中の65年です。当時、2カ所を調査し、その一つが辺野古でした。翌年にはキャンプ・シュワブのマスタープランが作図されています。辺野古での軍事施設建設を最初に構想したのは米側だったということです。しかし、当時の計画を米側が提案すれば沖縄で反対されるに決まっている。そこで、あたかも日本側が起案したようにして、米国はそれを受ける形にしたのだと思います」

普天間飛行場の辺野古への移設に関するやりとりを、当時の日米の政治家と官僚がグルになって偽装していたとすれば、沖縄県民を含む国民への重大な裏切りであり“犯罪”である。しかも、いまだに辺野古案は現在進行形なのだ。