普天間移転問題に関して、日米両政府が「グアム移転」と「辺野古移設」を切り離したことで「普天間の固定化」がいわれている。しかし、実は辺野古案は昔からアメリカ側にあった計画であり、普天間撤去は米兵の犯罪や立地の危険性等々が理由。グアムは米軍の軍事再編計画の一環……と、本来別々だったこれらの案件が、当局のメディア操作で同一のパッケージであるかのごとく印象付けられてきた。プレジデントオンラインでは、2年も前にその一連の事情を描いた短期連載「普天間の闇」(プレジデント誌2010年3月29日付号、5月3日付号、7月19日付号)を今、当サイトに再掲載するのは意義のあることと判断、3回にわたってお送りする。
※この記事は第1回です。
沖縄県議たちの前に現れた米前国防長官
「なんかおかしい」――1999年9月1日の夕刻、米国西海岸サンフランシスコの海運業記念館レストランにいた上原政英沖縄県議(当時)は、夕食会の席に現れた大物ゲストとその挨拶に奇妙な違和感を覚えた。米軍基地跡地の安全処理方法を視察するため、米国大使館を通じてこの地を訪れていた同県議ら沖縄県基地返還跡地利用特別委員会の議員たちの前に、いきなりウィリアム・ペリー前国防長官(当時)が登場したからである。
スピーチは北朝鮮と沖縄米軍基地の問題や、普天間飛行場の移設予定地である辺野古での工法にまで及んだ。上原氏は「こんな大物が我々のような県議にわざわざ挨拶に来るのはおかしい。委員長、この夕食会は断りましょう」と囁いたが、事情がのみ込めない議員団としてはその場を退席するわけにもいかず、結局、米国側のセッティングによる2時間程度のスケジュールが消化された。
県議団の副団長だった上原氏は、この日の記憶を辿りながらこういう。
「渡米前のスケジュールにその会食が入っていた記憶はありません。夕食会を準備した企業からは4~5名の幹部が出席していました。会食後にホテルまで送ってきた彼らが『基地跡地利用のための調査などで応援します』と言ったので、これは基地跡地で何か大変な事業を考えているに違いないと感じました。米国業者が沖縄にまで乗り込んできて仕事をしようとしているのか、と。自分たちの会社が前国防長官を呼びつけられるほど力のある特別な企業であることを我々に見せつけている、そんな感じでした。いま考えると、あの会社は国防省を通じて先の先まで情報を入手していたのではないかと思います」