「八ッ場ダム問題」は国民への裏切り

そもそも八ッ場ダムの建設中止は民主党マニフェストの最初のページに書かれている、「一丁目一番地」である。それを反故にして建設を再開すれば、マニフェスト違反だけでは済まない。民主党に期待と信頼を寄せて投票した人たちだけでなく、政治そのものに対する国民の期待を完全に裏切ることになる。前原誠司という政治家個人の敗北ではなく、民主党の敗北そのものを意味するからである。

そもそも八ッ場ダムというのは、まったく必要のないダムだ。台風による水害から首都圏や利根川流域を守る治水事業として1952年に計画が発表された。しかしながら、戦後の資材不足の時代に伐採されたハゲ山は、緑が回復して懸念された蓄水能力を取り戻している。今や、利根川・吾妻川水系にはたくさんのダムが建設され、流域の堤防もしっかりと整備されていて、治水目的のダムを今さら造る必要はない。

水の需要が減少傾向にある首都圏では飲料水だけでなく、工業用水や農業用水も足りているから、利水の必要もない。環境基準を超える高濃度の砒素が検出された問題も含めて、建設予定流域の吾妻川の水質はもともと利水目的にも向かないのだ。

「3.11」以降、電力不足のご時勢に紛れて発電施設を造り、ダム建設再開のあとづけの理屈にしている。しかし、八ッ場ダムで発電するとなると吾妻川水系の他のダムと水量調節をしなければならず、吾妻川水系全体としての発電量は増えない。唯一オプションがあるとすれば、夜間に水を揚げて昼間に発電する揚水発電所だが、これは24時間フル稼働の原発などの余力で揚水するから意味がある。現状のようにほとんどの原発がストップして夜間電力に余裕がない状況では、揚水発電にも使えないのだ。

これらの観点から検証してみただけでも、必要なダムではないことは明白だ。にもかかわらず建設再開が決まったのは、国土交通省を筆頭に、既得権益を守ろうとする古い勢力に民主党が分断され、取り込まれてしまったからである。前原氏は自らの敗北を認めるのではなく、「廃止にこだわる理由」をきちんと説明するべきだったと思う。

「必要のない八ッ場ダムの建設事業がずっと存続し、総額で1兆円近くの金額が注ぎ込まれてきた歴史は、自民党政権時代から続く“利権体質”そのものだ。我々はこれを止めようと政権を預からせていただいた。しかしながら悪しき体質はいまだ温存され、ダムを形にしたい地元の住民、自治体、関連業界が強硬にこれを推し進めた結果、我々の主張は覆されたのだ」と。

「もっと早く自民党時代に建設中止を決定するか、我々がもっと早く政権に就いていたらこうはならなかった。ダム建設中止の意思決定が遅すぎたことが悔やまれる。国民にはこの悪しき事例を自民党の染色体として記憶にとどめておいてほしい。米ビツが空っぽで国がデフォルトしかねない状況でも、要らないものを造り続けるこの国の利権構造を。私が個人的に敗北したのではない。1兆円以上の財産を失った日本国民の敗北なのだ。このような過ちを二度と繰り返してはいけない」

これが政治家の演説である。政治家というものは、自分の信念に基づいて、政策を実現していくものだ。その意味では、次期首相候補に挙げられている谷垣氏も前原氏も政治家失格だ。逆にだからこそ言動にまったくブレがない橋下徹大阪市長の存在感が際立つのである。

※すべて雑誌掲載当時

(小川剛=構成 YOMIURI/AFLO、SANKEI/Getty Images=写真)