顔を洗っただけなのに…発症者2000人超えの社会問題に

今から約10年前、アレルギー内科専門医の私が経験したことのない、成人の食物アレルギーの集団発生という大事件が発生しました。それが、“旧茶のしずく石鹸事件”です。

福岡県の会社が販売していた“旧茶のしずく石鹸”を使ったために、2000人を超す人が小麦アレルギーを発症し、一時は意識不明になる重篤な人が出るなど深刻な社会問題になりました(現在も“茶のしずく石鹸”は製造販売されていますが、原因となった加水分解小麦は含まれていません。そこで本書では、2010年月7日以前に販売された石けんは“旧茶のしずく石鹸”と記述することにします)。

それまで日本人の成人小麦アレルギーの90%以上を占めていたのは、(通常の)小麦依存性運動誘発アナフィラキシーといわれるもので、その典型的な症状は全身性の膨疹(蚊に刺されたような赤みを持った皮膚のふくらみ)でした。

ところが、2008(平成20)年のある日、小麦を使った食物を食べた後に運動をすると、主に眉間のあたりから瞼の腫れが広がり(眼瞼腫脹)、目と顔面にかゆみの症状が出る女性の患者さんが受診に訪れました。この患者さんはもともと食物アレルギーはなかったのですが、半年前ぐらいから小麦アレルギーになってしまったというのです。

国内で400万人以上が使用した大人気の商品だった

以前に、小麦由来の成分が入っていたトリートメント剤が目や鼻に入るとくしゃみが出て、その後小麦アレルギーを発症した美容師を診たことを思い出し、この患者さんも何らかの化粧品が目に入ったのではないかと疑いました。

さっそく、患者さんの家で使っているすべての化粧品の成分を調べたところ、洗顔用の“旧茶のしずく石鹸”にだけ、トリートメント剤と同様に加水分解小麦という小麦由来の成分が含まれていることを突き止めました。つまり、もともと食物アレルギーのなかった患者さんが、小麦の成分が入った洗顔石けんを使用したために、小麦に対して新しくアレルギーになってしまったと考えられたのです。

ところが、患者さんはこの女性1人では終わりませんでした。命にも関わる重篤なアナフィラキシー反応など全身性のアレルギーを含め、似たような症状の患者さんが次々とやってくるようになりました。詳細な問診(病歴聴取)の結果、すべてに共通していたのは“旧茶のしずく石鹸”の使用でした。

その後の研究で、この石けんに含まれていたグルパールSという名前の加水分解小麦成分がアレルゲンであると明らかになりました。それが眼球結膜や皮膚を介して体内に入り、その後に食べた食品に含まれていた小麦アレルゲンたんぱく質との交差反応によって即時型小麦アレルギーを発症したのです。

この石けんは、テレビCMの効果もあって、国内で400万人以上が使用した大人気の商品だったのです。この事件は、生活にごく身近なものが、思わぬ理由とメカニズムによって食物アレルギーの大量発生に関与し得るものであると私たちに認識させたという意味で、とても衝撃の大きいものでした。