平野国臣(ひらの・くにおみ)
1828~64年。福岡藩士として江戸、長崎に赴任する。31歳で脱藩し、志士として活動、僧月照と入水した西郷を助け出した。薩摩藩主への建白書『回天管見策』を著すが、下関で捕縛され、出獄ののち生野にて挙兵。京都に護送され、37歳で斬首された。
<strong>神戸製鋼所社長・工学博士 佐藤廣士</strong>●1945年、大分県生まれ。70年、九州大学大学院修士課程冶金学専攻修了。同年神戸製鋼所に入社。技術開発本部材料研究所長、技術開発本部開発企画部長を経て96年取締役、2003年専務、04年副社長、09年4月より現職。趣味 ゴルフ、スポーツ観戦(ラグビー、野球)
神戸製鋼所社長・工学博士 佐藤廣士
1945年、大分県生まれ。70年、九州大学大学院修士課程冶金学専攻修了。同年神戸製鋼所に入社。技術開発本部材料研究所長、技術開発本部開発企画部長を経て96年取締役、2003年専務、04年副社長、09年4月より現職。趣味 ゴルフ、スポーツ観戦(ラグビー、野球)

我が胸の 燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし 桜島山

幕末維新に関心がある方ならどこかでこの歌に出合っているはずだ。胸にたぎる思いを噴煙たなびく桜島の姿と重ねた堂々たる作風が胸に響く。私がこの歌の作者である一人の勤王志士と出会ったのは、九州大学に通う学生時代だった。