大久保利通(おおくぼ・としみち)
1830~78年。鹿児島生まれ。明治維新の指導者、政治家。王政復古のクーデターを敢行し、維新の功労者となる。その後、版籍奉還、廃藩置県、地租改正、殖産興業などを推進。官僚機構の礎をつくったといわれる。78年、士族に暗殺される。
<strong>ジャーナリスト 田原総一朗</strong>●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業。テレビ東京などを経て、77年フリーに。以降、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。現在、テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」で活躍中。また、『再生日本』『日本の戦争』『逆風を追い風に変えた19人の底力』など著書多数。
ジャーナリスト 田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業。テレビ東京などを経て、77年フリーに。以降、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。現在、テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」で活躍中。また、『再生日本』『日本の戦争』『逆風を追い風に変えた19人の底力』など著書多数。

大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允という「維新三傑」の特徴を挙げると、大久保は現実主義。西郷は理想主義。木戸は頭脳派。僕は大久保のことは好きじゃない。でも好き嫌いとかじゃなくて、維新の中心人物が誰かと問われれば、大久保がずば抜けた存在であるのは明らかです。

大久保はずばり、成功者です。同郷の西郷が二度の流罪を経験しているのに対し、大久保はほとんど失脚をしていない。

唯一の挫折は20歳のとき。当事、鹿児島では藩主である島津家の後継者をめぐる「お由羅騒動」が起こっていました。この騒動に、大久保の父親が巻き込まれた。薩摩藩主・斉興(なりおき)の正妻の息子・斉彬(なりあきら)と、側室・お由羅の子・久光との間で家督争いが起こり、最後は斉彬派が勝ちます。お由羅側についた父親は島流しの重罪となり、大久保も職を解かれ、3年間の謹慎となりました。これで一家は貧乏のどん底に落ちた。このときの体験が大久保の生き方を決める原点となり、以後、着実に出世の階段を上っていきました。

今は有事です。僕は今、明治維新に匹敵する大有事だと思っている。そんな状況下で経営者や政治家が見習うべきなのは、成功者である大久保のほかいない。近年、日本には国家戦略というものが必要だということを、多くの日本人が認識し始め、国の運営には権力が必要だということも認めている。大久保の評価が高まりつつあるのは、それが理由でしょう。

有事のリーダーに必要なのは決断力。まず人の話をよく聞き、自分で考え決断する。そして失敗したら責任を取る。「リーダー」というのはもともと軍事用語で、「死を賭ける」という意味がある。つまり、リーダーは仕事を完遂するために、自分の命を賭けなきゃいけない。大久保は、これらの条件をほぼ満たしています。