どんな暮らしをするのも自由です。ただ、物事が思いどおりになることは少ないと覚悟してやったほうがいいでしょう。
しかし、もっとも大事なのは、なぜ自分が「欲しい」と思うのか。あるいは、「捨てたい」と思うのかです。
その理由がわかっていなければ、どんなに「欲しいもの」を追いかけても、あるいは、無駄な物が一切ない殺風景な部屋で暮らしてみても、問題は永遠に解決しません。
だから、話の次元を変えないといけないのです。自分はいったい何が不安なのか。どのような状況が自分を不安にさせているのか。手間と時間をかけてきちんと考え、見極めなければいけないのです。
自分をわかって欲しいと思わないほうがいい
「誰も私のことをわかってくれない」
「あの人のことは、どうしても理解できない」
こう悩む方がいます。
しかし、人が理解し合えないのは当たり前です。まず、自分をわかって欲しいと思わないことです。
自分だって自分のことをよくわかっていないのに、他人にわかるわけがありません。自分以外の人間には絶対になれない以上、他人のことは決して全部わからないのです。
他人との関係において、もし相手のことをわかったと思うのなら、あるいは、自分を理解してもらえたと感じるのなら、それはしょせん誤解にすぎません。
「理解」という言葉の意味を正確に言うと、「合意された誤解」です。もし、お互いに理解し合えたと思うのであれば、それは、「誤解で合意した」だけ。実のところは、それぞれ自分の都合で解釈し合っているにすぎません。
それでも、友だちが多いほうが毎日楽しいし、人脈も広いほうがいいと考えるのなら、もちろんその人生を楽しめばいいでしょう。
しかし、もし人間関係に煩わしさを感じているのなら、人脈は言うに及ばず、友だちも必要ありません。むしろ、友だちなどつくろうとしないほうがいいのです。
人脈も友だちも、要らない
考えてみてください。自分にとって、本当に大事な人間、大切にしたい人間はどのくらいいるでしょう。せいぜい10人程度。多くて20人くらいではないでしょうか。
「いや、今の自分には友だちもたくさんいるし、仕事の人間関係もある」と思うかもしれません。しかし、自分の状況が変われば人間関係は一変します。
そう考えると、自分の生き方やあり方を決定づける人間関係は、そう多くはありません。本来、人が生きていくのに必要な人間関係はごく限られているのです。