本当に偉い人間とは、どんな人物だろう。禅僧の南直哉さんは「夢や希望を叶えて生きるのは、ある意味、ラクなこと。私は、夢に破れ、人生に挫折しても生きていく人こそ、本当に偉い人間だと思う」という――。

※本稿は、南直哉『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)の一部を再編集したものです。

オフィスの窓から外を眺める男性
写真=iStock.com/JohnnyGreig
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「前向きに生きる」ことに縛られていないか

あなたは、「良い人生」とはどんなものだと思いますか?

「努力して夢や希望を叶えること」
「やりがいのある仕事や生きがいを持ち、充実した毎日を送ること」

そんな風に考える方は多いのではないでしょうか。もちろん、そういった前向きな物語に乗って楽しく生きられるのなら、それで何の問題もありません。

しかし、「夢や希望を持たなければ」「生きがいややりがいを見つけなければ」と考えて自分を追い込み、苦しくなってしまっているのなら、むりやりその生き方に合わせる必要はありません。

私は福井県の永平寺で僧侶として20年近くを過ごした後、縁あって青森県にある霊場、恐山の院代(住職代理)となり10年以上が経ちました。その間、生きづらさや苦しさを感じているという、たくさんの方々とお会いしてきました。

皆さんのお話を伺う中で、仏教の考え方がさまざまな問題の解決の糸口、生きるためのテクニックとなるのだということに気がつきました。

仏教は、こだわりや執着から起こる悩みや苦しみの正体を知り、その取り扱い方を身に付けるためのツールとして利用できるのです。ここでは、拙著『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)の中から、夢や希望との向き合い方、生きがいややりがいに縛られない生き方について、いくつかお話したいと思います。