しかし、彼らはもともと優れた才能や精神力があり、自分の夢を叶えるために相応の努力をしたわけです。その才能と努力に見合った結果を出したのですから、その意味では、当然のことをやったまででしょう。

挫折感から立ち上がり、再び歩き出した人は強い

でも、血のにじむような努力をしたのにメダルに手が届かなかった選手が、結果を残せた選手より劣っているかと言えば、まったくそうではありません。

目標に向かって、懸命にがんばってきたけれど叶わなかった。夢をつかもうと必死で手を伸ばしたのに、届かなかった。

その挫折感から立ち上がり、再び歩き出した人間の底力は、大したものだと感服します。そういった経験は考え方の幅や強さとなって、その人の財産となるはずです。

競技場のトラックで顔を覆ってあおむけに横たわっているアスリート
写真=iStock.com/Paul Bradbury
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私は、人間にとって挫折は大事だと思います。なぜなら、そのとき人は損得勘定から離れられるからです。

「自分の欲を満たしたい」「人から認めてもらいたい」「自分のためになることをしたい」……。ふだん、人は得をしたいと思うところから動いています。「こうすればうまくいくかもしれない」「これをやれば得になるから、やってみよう」と考えがちです。

しかし、人生につまずくと、そんな算段は吹き飛びます。

思いどおりにいかなかったとき、夢破れたときに、人は損得から離れ、自分が本当に大事にするものを見極めます。

そして、それを見極めた後、自分の努力が報われるかどうかわからなくても、歩き始めます。そんな人間には、ある種の凄みが備わるのです。だから、夢や希望が叶わなくても、がっかりすることはありません。

むしろ、夢や希望が人生の妨げになるかもしれません。夢も、希望も、じつは麻薬のようなものだからです。

いつまでも叶わない夢を持ち続けているのは、夢という麻薬が切れたときの禁断症状が怖いからにすぎません。本当は、夢と希望を持つことに疲れ切っているのなら、今後もそれを持ち続けるのか、それとも手放すのか。

「夢」の後ろに隠れた自分の本音を、一度徹底的に見てみることです。

「生きがい」や「やりがい」をつくる必要はまったくない

夢や希望が必要ないのと同じように、「生きがい」や「やりがい」の類も、無くてかまわないと私は考えます。

「せっかく生まれてきたのだから、意味のある人生を送りたい」と言う人がいますが、「せっかく」はなく、この世に「たまたま」生まれてきただけです。

もちろん、「やりがいのある仕事」や「生きがいに満ちた毎日」がある人は、その日々を謳歌おうかしていただければいいでしょう。

しかし「生きがいが感じられない」「やりがいが見つからない」と、悩むほどの問題ではありません。そんなものがなくても十分生きていけます。