1セントの節約は1セントの収入

そんな幼いころの経験から、そんなにお金がなくても暮らせるってわかっていました。モテたいし、有名になりたいという思いはありましたよ。でも金持ちになりたいはあんまりなかった。

親友たちともそういう価値観が一緒で、お金のためだけに好きでもない投資銀行に就職するみたいなのが、一番格好悪いと思っていました。それで、専攻したのは比較宗教学でした。

これがパックンの「謙虚な投資術」

ハーバード大学の同学年は約1600人いましたが、比較宗教学は8人くらい。同窓会をやってみたら、アンデスの山奥で文字を持たない部族に出会い、そこに住みついてその部族のために初めて彼らの言葉の辞書を作ったという友達もいたんですよ。そういう人生のほうが面白いと思っていました。

卒業後に僕が向かったのは日本でした。中学時代の同級生に誘われ、やってきた福井県で英語教師になりました。手取りは18万円くらいだったかな。

当時、大学4年間分の奨学金を200万円ほど抱えていました。返済型の奨学金は、月に2万〜3万円を10〜20年かけて返すという前提なんですね。でも、それではいつまでも借金を返すために働き続けなくてはならないし、自由は得られません。そこで、僕は月に5万〜10万円を返すようにして2年で返済しました。それで自由になって夢を追いかけられるようになったから、東京に来たんですよ。

どうすればそんなに節約できるんだと驚かれますが、基本は簡単。お金を使わないことです。とにかく出費を収入より低く抑えないと。出費が収入を超えてしまったら、もうその後は借金返済に毎日追われるだけだからね。「1セントの節約は1セントの収入」なんですよ。

福井で僕が住んでいたのは、英会話学校が借り上げた一軒家でね、今は取り壊されたけど数年前までは普通にグーグルマップに出てました。1階が6畳2間、中2階が6畳、3階が8畳とかそれくらい。そこで同僚と2人で暮らして家賃月4万円でした。光熱費とか込みだったかな。そこで一緒にホームパーティやって、「大五郎」って焼酎を、よく飲みました。4リットルくらい入ってたはずだから、“二升瓶”になるのかな。お湯割りとかだけで酔えるんです。たまに騒ぎすぎて勤め先の社長と一緒にせんべいを持って近所を謝って回ったりとかしたけど、安く楽しんでいましたね。

東京に出てきてからも、最初は友達の家に居候してました。「よっしゃ」って思ったんだけど、「家賃払え」みたいな話になって、半年くらいしてから月8万円のボロアパートに引っ越したんです。場所は新宿の左門町。中心部に住めば、新宿でも渋谷でも銀座でも自転車で行き来できて、タクシー代も払わないでよくなります。