家族や友人を残してきた耐えがたい苦しみ
マリウポリを離れて初めて、私は事態が考えていたよりも深刻だったことに気がつきました。私は市内でも比較的安全な場所に避難できていたものの、脱出していく途中で多くの破壊と悲しみを目にすることになりました。
団地が立ち並ぶ地区には、巨大なクレーターができていました。スーパーマーケットから、医療施設、学校、人びとが安全を求めて来ていた避難所に至るまで、何もかもが破壊されていたのです。
ようやくインターネットにアクセスした時は、愛する町が炎に包まれ、同じ町に住んでいた人びとががれきの下敷きになっている写真を見て、ショックを受けました。子どもを連れた家族が多数避難していたマリウポリ劇場が空爆された、とニュースで知った時の思いは、言葉になりません。私にできることは、なぜそんなことが起きたのか、と問うことだけでした。
多くの家族や友人を残していくしかなかった。でも、家族や友人、その他の人びとがまだあの場所にいると思うと、耐えがたい気持ちでいっぱいです。家族のことが心配で胸が痛みます。戻って連れ出そうとしましたがうまくいかず、いまは音信不通の状態です。
「誰かが私に電話をしたいかもしれない」
包囲され攻撃を受け続ける町においても、誰かと一緒にいる人は生き残るチャンスが残されています。ただ、マリウポリでは孤立した人がとても多いのです。高齢で弱っている人びとは、水や食料を探すために何キロも歩くことなどできません。
私は2週間前に道で会ったおばあさんのことを、いまでも忘れることができません。足が不自由で、眼鏡が壊れていたので、目もよく見えていなかったと思います。彼女は小さな携帯電話を取り出し、「充電してくれないかしら」と言ったのです。車のバッテリーにつなげないか試してみましたが、うまくいきませんでした。私は、電話回線が不通になっているので、充電があっても電話はできませんよ、と伝えました。
「誰にも電話がかけられないのは分かっているのよ。でも、いつか誰かが私に電話したいと思うかもしれないから」。
そう、彼女は言いました。
そのとき私は、このおばあさんはいま一人ぼっちで、全ての希望は電話にかかっていることに気がついたのです。もしかしたら、誰かが彼女に電話をしようとしているのかもしれない。同じように、私の家族も私に電話をしようとしているのかもしれません。でもそれは知りようがないのです。