町のいたるところにできた墓地
最初の数日間は、幸運なことにMSFに残っていた医療物資をマリウポリの病院の救急診療科に届けることができました。
ただ、電気と電話回線が使えなくなってからは同僚と連絡が取れなくなり、活動ができなくなったのです。爆撃は日ごとに激しさを増していきました。当時、私たちが考えていたのは、何とか生き延びること、そして脱出する方法を探すこと。この二つでした。
自分の住んでいた場所が恐ろしい場所に変わる──。
この現実を、どう表現すればよいのでしょう。町のいたるところに新しい墓地ができました。自宅の近くにある幼稚園の小さな園庭にもできたのです。本来、そこは子どもたちの遊び場として使われるはずなのに……。このような過去を背負った子どもたちに、未来をもたらすことができるのでしょうか。増えていく一方の痛みや悲しみを、どうしたら受け止められるのでしょう。毎日、まるで人生の全てが失われていくような気がしました。
恐怖の中で助け合う人々
同時に、マリウポリでは、多くの人が他人を助け、自分を後回しにしても他人を気づかう姿に心を動かされました。母親は子どもの身を案じ、子どもは親の心配をしています。
私の姉は空爆で精神的に疲弊していたので、私は彼女の心臓が止まってしまうのではないかと心配しました。姉の心拍数は1分間に180回になり、その変わりようにもぞっとしました。私は姉に「いま、恐怖に負けて死んでしまったら、あまりにもばかばかしいじゃないか!」と励ましたものです。
時間が経つにつれ、姉は少しずつこの環境に慣れていき、砲撃の間は恐怖で身を強張らせる代わりに、さまざまな隠れ場所を私に教えてくれるほどになりました。それでも姉のことは心配で、この町から逃げなければいけないことは明らかでした。
私たちは安全な場所を求めて、3回も移動しました。幸いにも、家族のように思える素晴らしい人たちのところに滞在することもできたのです。人類が互いに助け合いながら生きてきたことは、歴史が証明しています。それを自分の目で見ることができ、とても感激しました。