「吾妻鏡」に書かれていた亀の前の出自と性格
『吾妻鏡』によると、亀の前は「良橋太郎入道」という人物の娘と書かれています。
良橋入道がどのような経歴を持つ人かは分かりません。ただ、良橋という名前から下総国の吉橋郷(現在の八千代市)の豪族ではないかという説があります。ドラマで描かれていたような、漁師の妻だったということは考えにくいです。
また、亀の前は美人で、性格も温厚であると『吾妻鏡』に記されています。一般的に、温厚で性格が良いとされる人が「夫を殺してきて」と言うでしょうか。
ドラマの中で、亀の前が、新垣結衣さん演じる八重(伊東祐親の娘で、頼朝の前妻)に、頼朝と寝所にいるところを見せつけるシーンがありました。ネットで大きな話題となったシーンですが、そのようなことをする性悪女でもなかったように私は思います。
NHK(脚本家の三谷幸喜氏)としては、勧善懲悪の筋書きにして、ドラマを盛り上げるために、頼朝の不倫相手を性格の悪い人物とするしかなかったのでしょう。
鎌倉に近い逗子に愛人を住まわせる
寿永元年(1182)6月1日、頼朝と亀の前との関係に進展が見られました。
頼朝が亀の前を、家臣・中原光家の逗子の家に引っ越させたのです。
おそらく、亀の前はそれまでは伊豆にいたのではないかと思います。鎌倉ではなく、逗子に呼び寄せたことも面白い。
引越しの理由を『吾妻鏡』は「外聞を憚って」と書いています。ですが、世間体とかいうよりも、頼朝は妻・北条政子(役=小池栄子さん)の目を気にしていたのではないでしょうか。
政子にバレたらえらいことになると、頼朝は予想していたと思われます。
また、逗子に住まわせたのは「由比ヶ浜に禊に行く」といって、頼朝が出てきやすいからとも『吾妻鏡』に書いてあります。用意周到です。亀の前の性格に惹かれて、頼朝は1181年の春頃から、頻繁に亀の前と会っていたようです。
同年の6月8日にも、頼朝は亀の前がいる逗子を訪問しています。ちょうどその頃、政子は妊娠中であり、8月12日には無事に男子(後の二代将軍・源頼家)を出産しています。
愛人が住む家を襲撃させた北条政子
しかし、その年の秋に、愛人・亀の前の存在が、政子にバレてしまう。
その頃、頼朝は亀の前を伏見広綱の邸に住まわせていました。広綱の邸は飯島(鎌倉市)にあったといいますから、さらに近くに住まわせていたことになります。
政子が、亀の前の存在を知ったきっかけは、父・北条時政の後妻・牧の方の告げ口でした。
愛人の存在に怒った政子は、「牧宗親(牧の方の実父)に命じて、亀の前が住む伏見広綱の邸を襲撃させ、破壊させてしまう」(『吾妻鏡』)のです。
広綱は亀の前を連れて逃げ出し、太多和義久の邸に逃れます。これが11月10日の話です。ちなみに、ドラマでは、襲撃に源義経も関与しているとの描かれ方でしたが、義経の関与を示す史料はなく、創作です。