日本人の大好きな「問題先送り」では許されない
最近の物件ではある程度対策が施されているかもしれないが、初期に建設されたタワマンなどは東日本大震災で図らずも露呈したようにエレベーターは停止し、高層階住民は配給された水を持って自分の住む部屋まで階段を上っていかなければならなかった。
電源を失えば、給水タンクが機能せずにトイレにも行けなくなったことを、多くの人たちは忘れかけている。
すぐそばの未来に、この大地震が発生することを前提に不動産の未来を考えることは、億劫なことであるし、できれば「見ない」「聞かない」「話さない」、日本人の大好きな問題先送りで流してしまいたいところだが、奴らは必ず我々の前に突然その姿を現すのだ。
旧耐震建物の耐震補強・建て替え、木造密集地域での街区整備、津波危険地区での避難所の確保。海岸や河川の整備。そして何より地震が発生した時の防災訓練。やれることはたくさんある。そしてそれらの優先順位をあげていくことが求められている。
こうした備えに対して不動産が果たす役割は大きい。建てっぱなし、売りっぱなしではなく、来るべき災害に備えた防災機能の強化は今に始まった話ではないが、より強化していく必要に迫られているのだ。
不動産の価値は結局土地に収斂する
私は30歳の頃から不動産を生業にしてきた。平成バブルがあり、その崩壊があり、ファンドバブルが起こり、リーマンショック、アベノミクス。
平成初期までの一方的な値上がり状況を経て、不動産が世の中の変化、とりわけ金融マーケットと接続されてからは金融環境の影響を強く受けて、相場が上下動するようになってきたさまをつぶさに見ることができた。
そうした歴史の中で強く思うのが不動産の価値とは、結局土地に収れんするという理が存在することである。
では土地の価値というものはどのようにして形成されてきたのかと言えば、それは繰り返し発生して人々の生活の基盤を根本から脅かす、自然災害との闘いを経ることで形成されてきたということである。
人々は古来生きる知恵として、繰り返し発生する自然災害にどのように対峙していくかを学習してきた。その結果として土地の価値は形成されてきたのである。
大きな地震が生じても、地盤が堅固でさえあれば、揺れは少なく、建物が崩壊する、地割れが生じるなどのリスクが少なくなる。
地盤が良い場所はどこなのか。津波が襲ってこない場所はどこなのか。豪雨や台風の襲来があって、付近の河川が氾濫することはないか。海の近くや河川の氾濫原の付近には住まないことが、人類が長年にわたって生きてきた結果得られた知恵なのである。