どうして出欠確認をしなければならないのか

とりわけ僕のストレスをマックスにさせたのは、どんな些細な会合においても必ず尋ねられる「出欠確認」だ。ひどいものになると、「出席なさる役員さんのお名前とメールアドレスをお書きください」なんて書いてある。じゃあ、最初からその会合に出席する立場と思われる人のメーリングリストを作っておいて、一斉に流して個別に返事をメールでもらう、あるいは、グーグル・フォームでザーッと流して、1分で返事をリターンしてもらえば、それで終わりじゃないか?

手書きの出席簿
写真=iStock.com/Hailshadow
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メールもSNSも一般化していない二十世紀のやり方を一ミリも変えないで放置してきたから、「学校便のファイルを確認して書き込みをして、送り返す」というコミュニケーションを取るために、わざわざ学校まで「物理的に移動」しなければならないのだ。

そもそもどうしてそんなに出欠確認が必要なのかが僕にはさっぱりわからない。本業を別に持っているボランティア活動なんだから、行ける人は来る、行けない人は来ない、それだけであって、あの執拗しつようなまでに出欠を知りたがる慣習は何なのか? 聞いてみると、「出席者の数がわからないとお茶の用意とか、書類のコピー数とかがわからなくて困るし、ネームプレートの用意もありますし」とのことだ。要らないよ。そんなもん。お茶なんて自分で持ってくるし、コピーなんてメールに添付すれば不要だ。ネームプレート? 首から各人がカードぶら下げればいいじゃん。

合理的なやり方に変えたくても、誰も言い出さない

そして、そういうトホホなもの「そのもの」よりも、僕がイライラしたのは、いつも通り「そういうことはもう止めて、合理的なやり方に変えたい」と、ほとんどの人たちが思っているのに、誰もそれを言い出さないことだった。

こらえ性のない僕が結局口を開く。区の連合体の役員さんなど、そういうこれまでのやり方を、僕の要求通りに勝手に変えたら、まわりから何言われるかわからないと忖度そんたくして、もう判断不能となって、それも面倒臭いから、「なんで文句つけるんですか?」と関係は険悪になる。どちらも「もう本当にアホくさい」と思っているのに!

だから学校便は、2年目の任期中に、わざとほとんど無視した。無視することで意志を示すということだ。

前会長が出席していた会合一覧表のほとんどすべてが、「別に行かなくてもとくに何の問題も生じなかった」ことが明らかになったのも、コロナ下の状況だった。3年も会長をやって、結局、いまだにどこが主催している、何のための、何を決めるための会合なのかもわからない、覚えていない会合が本当にたくさんあった。

そもそも、コミュニティ・スクールなどという看板を掲げているものだから、小学校のPTA会長の僕が、同じエリアにある「中学校」の学校運営委員会に出席することが設定されているのだ。もちろん地域にある中学校だから無関係ではない。しかし、うちの学校の6年生のうち男子は半分近く、女子は8割が中学受験で他の私立中学校に行ってしまうから、私学進学者がクラスに3人くらいだった僕たちの子供時代とは公立学校のつながりの事情が異なっている。