政治学者の岡田憲治さんは、東京都内の公立小学校で3年間PTA会長を務めた。任期の最後にはパンデミックが起こり、遅々として進められなかった活動のスリム化が一気に進んだ。PTAについて政治学者が出した結論とは――(3回目/全3回)。

※本稿は、岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。

誰もいない教室
写真=iStock.com/xavierarnau
※写真はイメージです

コロナがあぶり出した不要不急のあれこれ

一斉休校から3カ月ぐらいは、僕たちは「どうしたものか? 何をすればいいのか? このままどうなってしまうのか?」とひたすら「?」の日々を送っていたが、役員さんたちからのLINEに「○○とか○○も、やっぱり中止だし、ナシってことですよね?」という相談が増えてくる度に、当たり前のことに気がついたのだった。これは、PTAに限らず、日本中、世界中で起こった「○○って、つまりは必要なかったってことじゃん」というたくさんの「不要不急なものたちの発見」である。

「会えない時間が愛育てるのさ」と歌ったのは郷ひろみだが、「会えない」という事実と条件が、「会えなくても伝え合うやり方」を工夫させ、それは今までの非効率的な、みんなが気づいているのに誰一人として面倒臭がって「それ止めません?」と言えなかった改革に多くの人たちを導いたのだった。

PTAのアナログさにイライラ

PTA会長になった当初から、もう本当に僕をイライラさせてきたことの筆頭が、いわゆる「学校便」というシステムだった。教員室の前の廊下にあるPTAの棚やボックスに、ありとあらゆる種類の「学校便」と名付けられたチャック付きだったり、封筒だったりする書類入れがあり、そこに「○○小学校PTA会長↑↓△△小学校PTA会長」とか、「○○区PTA連合協議会宛」などと紙が貼ってあり、その中に各種会合のお知らせと、「出欠確認書」というものが入っている。このファイル便を事務所にある黒いバッグに入れておくと、宛先の学校や事務所に届けてくれるという仕組みだ。もちろん届けてくれた人には感謝する。でも、この作業は、メールとファイル添付とグーグル・フォームを使って、パソコンの前で全部終わるものだ。