「コピー工員」ではなく「職人」であり続ける
燕市には、研磨・表面処理・プレスといった技術を持つ“磨き職人”たちのシンジケートがある。結成は03年。市内の14~15社で構成され、市内外から舞い込む仕事を共同受注する。
「昔は、一匹狼ばかりでしたが……」
現在、市内施設「磨き屋一番館」で磨き職人の後継者育成に携わる田中三男・燕研磨振興協同組合理事長はそう語る。田中氏が、従業員3人と研磨業を営んでいた01年、東陽社からIT機器研磨の仕事が回ってきた。初代iPodのステンレス製ボディの研磨だった。鏡と見紛う水準の、ピカピカの裏面である。
当時はまだシンジケートがなく、田中氏は職人たちの集まりである研磨工業会を通じた取りまとめ役となった。
「一個磨いて100円。自分でやってみたら、一日100個で1万円が精一杯。当時は一日3万円、4万円稼ぐ人もいたからやる人がいない。最初は私も断ったけど、受けた責任もあるから、仕方なく私だけで始めた(苦笑)」(田中氏、以下同)
東陽社は、プレス加工と付属品のスポット溶接でiPodの筐体を形づくる。磨き職人は、バフと呼ばれる円盤型の研磨道具をモーターで回転させ、そこに筐体を手であてて一つ一つ磨き上げる。
「この仕事を受けた理由は、いずれIT関係の時代がくるんじゃないかという考えもありました。ただ、当時はパソコンといえばウィンドウズ。アップル社の名はあまり知られてなかったと思う」