御手洗氏が三顧の礼で招聘した役員

サプライズ人事といえば、キヤノンの御手洗冨士夫会長(中央大学法学部卒)の場合もそうだった。御手洗氏自身、社長になるとは思っておらず、四半世紀近く米国に赴任し、創業家の中では傍流のため、「副社長止まりだ」と思っていたようだ。

しかしながら、創業者の息子である御手洗肇社長が急死したため、急遽社長に昇格した。社長就任後、御手洗氏は、当時強力な権限を持っていた事務機事業部の出身者などを傍流に替える。「集中と選択」路線を推し進めることで、組織を強力な中央集権型にする狙いがあった。

その後、親戚や同郷に近い出身者を役員にするケースもあった。現社長の内田恒二氏(京都大学工学部卒)は御手洗氏と同じ大分県立佐伯鶴城高校の出身だ。

現在、CTOの立場にある元テキサスインスツルメンツ社長を務めた生駒俊明副社長(東京大学大学院工学系研究科博士課程修了)は、御手洗氏が三顧の礼で招聘したと言われる。今のところ社長になれるかどうかは、人事権を握る御手洗氏と親戚関係や大分の地縁も含めて、近い関係にあるかどうかが大きい。

役員体制を見てもその傾向が見られるが、最近は、急速な経済状況の変化で、従来キヤノンが得意としてきた米国、欧州中心のビジネスから、中国やインドなどの新興国にビジネスの比重が移りつつある。そのため、事務系では中国やアジアを熟知する役員が重宝されつつある。かつては欧米市場担当者が多かったが、ここ数年でアジア色が出始めているのは興味深い。

社長に選ばれるためのエリートコースが比較的鮮明なのは総合商社である。例えば、三菱商事は機械畑、住友商事は鉄鋼畑出身の社長が歴代続いている。しかし、三菱商事の次期社長に内定した小林健常務執行役員(東京大学法学部卒)は、佐々木幹夫会長(早稲田大学理工学部卒)、小島順彦社長(東京大学工学部卒)と同じ機械畑だが、登竜門といわれるニューヨーク勤務や企画部門の経験がなく、船舶関連の仕事が長い。海外赴任先もシンガポールなどでアジアの事情に詳しく、商社などでもアジアシフトの傾向が強まっている。

伊藤忠商事の場合は、ひと昔前は、大企業の社長像がぴったりくる人物が多かったが、1998年に丹羽宇一郎社長(現会長)の就任後は、より個性とスピード感が増す経営になった。当時、3900億円もの特損を計上するが、その後V字回復させ、ファミリーマート買収などを手掛ける立役者となった。その丹羽氏は6年で社長を辞めると明言し、「スキップ・ワン・ジェネレーション」(次世代の社長は、一世代下の幹部から選ぶ)で、後継者に10歳下の小林栄三社長を選んだ。

指名の理由は「論語の五常(仁義礼智信)に加え、儒教の精神である『温』を持っていること」だ。生き馬の目を抜く商社のなかで、従業員や取引先に対する人間的な優しさは群を抜いている。若手社員から、今でも飲みに誘われる親分肌でもある。丹羽氏は名古屋大学、小林氏は大阪大学卒で、戦後初代社長の小菅宇一郎においては、八幡商業高校出身である。4月1日付で社長への就任が予定される岡藤正広副社長は東京大学出身だ。伊藤忠には、学閥は存在しない。