意外と知られていない「2種類の孤独」

違いを解き明かすカギは「2つの孤独」です。孤独を表現する英語には、「ロンリネス」と、「ソリチュード」という言葉があります。孤独が2種類あるのです。

ロンリネスとは、孤独によって生じるネガティブな感情のこと。

「私は独りぼっちである」「私には心が通じ合う人が誰もいない」「私には精神的によりどころになる人がいない」「誰からも必要とされていない」など、孤独によって生まれる不快で苦痛となる感情です。日本語では「孤独感」と呼ばれます。

孤独ではなく「孤独感」です。この2つは学術的には同一視されることもありますが、本稿では区別しようと思います。

孤独とは、自身の周囲に人が少ない状態を指します。たとえば、パートナーがいない、友人や知人が少ない、仕事関係やご近所での付き合いも少ないといった状態が当てはまるでしょう。

それに対し「孤独感」とは、あくまで本人の感じ方です。

まわりに人が多い、少ないにかかわらず、前述したような「頼りになる人がいない、心の通じ合う人がいない、疎外感を感じている、誰からも必要とされていない」という主観的な感覚のことです。そのため、一見すると多くの人に囲まれて暮らしているように見える人でも、「孤独感」を抱えて、苦しみながら生きている人がいるわけです。

街角にたたずむ若い男性
写真=iStock.com/JohnnyGreig
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もう一つの孤独「ソリチュード」とは

どんな人でも、人とのかかわりの中で生きていると、「反対された」「意見された」「無視された」「批判された」「理解してもらえなかった」「仲良くしてもらえなかった」などの場面に遭遇すると、孤独感を覚えることはあります。

実のところ、物理的な孤独(独り身)から生まれる孤独感より、こうした他者との関係性から生まれる孤独感のほうが多いといいます。

では、ソリチュードとは何か?

独りの状態である、という点ではロンリネスと同様です。しかし、ロンリネスが苦痛や不安、寂しさを招くのに対し、ソリチュードは独りの状態をむしろ前向きにとらえ、精神的に自立し、自分だけの時間を過ごすことに喜びと楽しみを感じている状態を指します。

「ソリチュード」はこれまで「孤高」または「孤立」と訳されることが多かったようです。ただし、孤高というと、日本語では、何かを極めようとする求道者のようなイメージを持つ方もいるかもしれません。

孤立も、別のニュアンスを感じます。私は、ソリチュードになるのに、何か人よりも特別な努力が必要だとは考えていません。なぜなら、ロンリネスもソリチュードも感じ方の問題だからです。

自ら孤独であることを選んで自由に生きる人たち

私は、ソリチュードを「幸せな孤独」と表現するとわかりやすいのではないかと思います。

幸せな孤独の究極のかたちが「孤高」「孤立」かもしれませんが、そこまでハードルを上げなくても「幸せな孤独」は実現できます。人によりかからず、個性的で、自由に生きる。素敵な人生こそが「幸せな孤独」です。