かつては台湾でも差別があったが…
台湾では単純労働の担い手として、タイ人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人を受け入れてきた。制度の確立とともに、企業側と労働者の人間関係の在り方も試行錯誤を繰り返してきた。
2000年代に入り、台湾人が最も身近に感じたのは、高齢者介護のために雇われるフィリピン人の住み込みの“お手伝いさん”だった。しかし、当時は企業側と労働者の間にはまだまだ隔たりが存在した。台北市に住む林茜さん(仮名)は、20年前をこう振り返っている。
「フィリピン人のお手伝いさんを台湾では“マリア”と呼びました。住み込みなので、物置や倉庫に住まわせたりするなど、当時は差別的な待遇もありました。まともな食事もさせず、休みを与えず四六時中働かせ、果ては親戚や友人にまでマリアを貸し出すなど、中にはこき使う雇用主もいました」
その後、スマートフォンの普及によって状況が変わった。「LINEで無料通話ができるようになると仲間同士のコミュニティーもでき、何かあったらグループLINEで情報を共有して結束を強め、今では雇用主が彼女らのご機嫌をとるなど、立場がすっかり逆転しました」(同)
企業側が労働者の顔色を伺うように
製造業の分野でも、外国人労働者なしには成り立たなくなっている。台湾南部で漁業関連資材を製造する工場経営者の王啓明さん(仮名)は、雇用を通して、ベトナム人には不思議な習慣があることに気がついた。それは、台湾人も知らない“怪しげな何か”で、休憩時間や夜間に服用しているのだという。
「活力増強剤のようなものでしょうか、恐らく台湾では“法律スレスレ”のものではないかと。キツイ仕事だから余計に欲しがるんですよ。もともと母国で使っていたようで、タバコのように中毒性がありますが、これをやると元気になるんです。逆にやめると仕事ができない。雇用者としては目をつぶるしかない状況です」
あくまで筆者の推測だが、これはベトナム人が“アメリカ草”と呼ぶ麻薬かもしれない。今、日本でもこれを所持するベトナム人が摘発されているが、台湾でも違法薬物に指定されている。また、台湾では労働者が高揚感を得るために檳榔(ビンロウ)の実を噛む習慣が残っているが、これに類するものとも想像できる。
いずれにしても王さんはそれ以上の詳細を語りたがらなかった。労働者を失うことを恐れて黙認せざるを得ない、そんな経営者の苦しい心の内が見える。今では企業側と労働者の立場は逆転し、企業側が労働者の顔色を伺うようになった。
台湾では、労働力に対する絶対的なニーズと行政の積極的な取り組みとともに、言葉や考え方、習慣が違う外国人労働者を受け入れる素地を整えてきたが、その成熟した市場では「立場の逆転」が鮮明になっている。