「親のクズぶりが子にうつる」という悪循環

【宮台】ところで、男女の性愛の損得化の背景には、より深刻な家族の損得化があります。家族の損得化が、そこで育った男女の性愛の損得化をもたらし、性愛の損得化が性愛をへてつくられる家族の損得化をもたらす、という悪循環があるのです。

2000年に僕が大学生を対象に行った統計調査で、とても面白いデータが得られました。「あなたの両親は愛し合っていますか」という問いに対し、イエスとノーの答えが半々だったのですが、イエスと答えた人は、交際率――ステディがいる割合――が高く、性体験の相手の人数は少ない一方、ノーと答えた人は、交際率が低く、性体験をした相手の人数が多かったのです。何を意味するのか、もうおわかりですね。

損得を超えた愛は、損得化した社会では非現実的な「お話」に感じられがちです。にもかかわらず損得を超えた愛が現実的だと感じられるには、実際に損得を超えて愛し合う男女の相互行為を目撃できることが大切です。

両親が愛し合う家庭では、子どもは両親をロールモデルに愛の現実性を学べます。両親が損得勘定だけで一緒に暮らす家庭では、愛の現実性を学べません。家族の損得化が子どもを損得化させる。「親のクズぶりが子にうつる」のです。

なぜ見合い結婚では「深い絆」が作れたのか

家族の損得化というと、家柄婚が一般的だったお見合い結婚をイメージする人もいるかもしれませんが、それは正しくありません。今はお見合い結婚をする人は5~6%しかいませんが、僕や野田さんが生まれた頃は7割がお見合い結婚で、その過半数は農家や商店などの自営業者の跡取りが家業を継ぐことを目的としていました。それは間違いない事実です。

でも、先ほど恋愛の始まり方をお話ししたように、日本人には一緒にいるとつながりができる文化があります。恋愛感情を抱かずにお見合いで結婚した夫婦でも、一緒に家業を営みながら長く連れ添ううちに、深い絆で結ばれることがありました。

もちろんかつてのお見合いは、家父長制に象徴される男女差別的な社会形態と表裏一体の仕組みでしたが、夫婦の絆は少なくとも今よりは強かったと言えるでしょう。