ノンアルコールビール「龍馬1865」がコロナ禍で売り上げを伸ばしている。前身は宝酒造が製造・販売していた「TaKaRaバービカン」だ。いかにして「龍馬1865」が誕生したのか。開発の背景や商品展開について日本ビール経営企画室長の近藤春久さんに話を聞いた――。
日本ビール経営企画室長の近藤春久さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
日本ビール経営企画室長の近藤春久さん

2007年に宝酒造から「バービカン」を譲り受けた

1979年に創業した日本ビールは、世界各国からプレミアムビールなどの輸入・販売を行っている企業だ。世界に数多く存在するビールの中から、特色豊かなものを厳選し、日本の市場で販売してきた。

「龍馬1865」(画像提供=日本ビール)
「龍馬1865」(画像提供=日本ビール)

そんななか、ノンアルコール飲料を発売するに至った経緯について、近藤さんはこう振り返る。

「ノンアルコールビールの先駆的存在だったのは、1986年に発売された宝酒造さんの『TaKaRaバービカン』です。いわゆる“ビールテイスト飲料”として話題となり、一世を風靡ふうびした商品でした。転機になったのは、2006年に宝酒造さんがアルコール以外の清涼飲料事業から撤退することを発表したときになります。ちょうど当社でノンアルコールビールの取り扱いがなかったため、『バービカンを引き継がせてもらえないか』と宝酒造さんに問いかけたところ、快諾してくれました。そこで、2007年に宝酒造さんからバービカンの販売権を譲ってもらったのが、ノンアルコールビールを製造・販売するようになったきっかけです」

 

輸入販売事業で得たネットワークが商品開発に役立った

バービカンの製造は、宝酒造からOEMの工場や資材の業者を紹介してもらうところから始まった。

しかし、“バービカン”という呼称を使っていることが大きな足かせになったという。

「そもそもバービカンという名前はイギリスの地名に由来するのですが、この名を冠して販売していく上ではさまざまな制約がありました。あらかじめ指定された原料を使わなければならないことや、商標権を持つインベブ社(現:アンハイザー・ブッシュ インベブ社)へロイヤルティーを払う義務があるなど、一定の縛りがあったのです。幸いにも販売数自体は堅調だったのですが、どうしても味の面が気になったり原価が高くて利益を出しづらかったりしたので、インベブ社に思い切って交渉してみたんです。

そうしたところ、『商品名を変えるなら、指定原料などの縛りを外す』という回答をいただけました。そこから、自分たちで一から原料探しを始め、新たにノンアルコールビールの商品開発に着手したんです」

日本ビールは創業以来、海外ビールの輸入販売を手がけてきたこともあり、最適な原材料を見つけるためのネットワークはすでに持っていた。

過去に築いてきた輸出会社や酒類メーカー、コーディネーターとのつながりを生かし、原材料探しに奔走したところ、麦芽100%のモルトエクストラクト(ビール醸造の原料となる麦芽抽出物)にたどり着いたそうだ。