オール・オア・ナッシングで考えない
農業や漁業の従事者に関していえば、認知症が発症しても、それまでと変わりなく仕事を続けている人も少なくありませんでした。
認知症が発見されると、一般的には周囲が先回りして外出や仕事などいろいろなことをやめさせてしまうことが多いのですが、“オール・オア・ナッシング”で考える必要はありません。
「この仕事、この家事は、もうできなくなったからやめる」
「この家事は、できるからしばらくは続けよう」
そういう判断があっていいはずなのです。
70代からは「比べない」
70代ともなると、世代全体の10%が認知症になります。残りの9割は依然として頭がはっきりしており、健康な人とそうでない人の差が、それまでになくはっきりと分かれてきます。
外見の面でも、同級会などで集まれば、みな同い年のはずなのに一見して「え?」と驚くくらいの個人差が容姿の老け具合に出てきます。社会的にも、現役バリバリで社長を務めている人がいるかと思えば、定年退職した人の多くは「無職」という肩書をつけられてしまう現実があります。
だからこそ、なにかと「あいつに比べて自分は……」という引け目を感じやすくなり、人によってはそれが重荷になってくることもあります。
老いを受け入れるとは個人差を受け入れること
同世代の人よりもちょっとだけ早く老いを受け入れざるをえなくなった70代の人にとっては、「老いを受け入れる」ことは「個人差を受け入れる」とほぼイコールの行為でもあります。
この世に同じ人は一人も存在せず、誰もがみんなとちょっとずつ変わっているのですから、自分を他人と比べているかぎりは苦しさから抜け出せません。他人にはできて、自分にはできないことについて思いを巡らせて悶々とするよりは、「いまの自分に何ができるのか」ということを前向きに考えたほうが、ずっと健康的に生きられます。
人と比較するより、自分の生き方を模索するほうが賢明だと、私としては信じています。