抽象化能力の獲得がカギとなる

もう一つ、稼ぐ人は抽象化能力が高い傾向があります。これを川上と川下で説明したいと思います。

以前も紹介しましたが、会社では川上に行けば行くほど抽象化能力が求められ、川下に行けば行くほど具体化能力が求められます。

たとえばビジネスモデルの創造という川上では、発想は自由です。ルールや指標はあってないようなもので、環境も条件も自由に変えることができます。

しかし現場という川下に下りれば環境は与えられるものであり、ルールも指標もしっかり固まっており、その枠内で仕事をこなすことを求められます。自分で変えられるのは細かい実務レベルにとどまります。

これは他のことにも当てはまり、たとえば創造性やイノベーションを期待され自分で流れを創るのが川上で、既存の手続きや前例踏襲など、規範に合わせるのが川下です。

問題を発見して課題を設定するのが川上であり、川下ではその課題を与えられるでしょう。

そう考えると、ほとんどの人は「川下」で生きていると言えます。なぜかというと、抽象的な発想が苦手だからです。

たとえば家庭や学校や会社という環境が与えられ、その中でなんとかするしかないと考えてしまう。自分の人生は自由にデザインできるにもかかわらず、それが見えない。

「人生の構想」という抽象化された方向性がないために、何をすればいいのかわからなくなる。

抽象化して考える習慣をもつ人は「コロナで仕事が減り、どうしようもない」という状況でも絶望することはないでしょう。

家から通いやすい会社を選んでしまう

転職の際も、たとえば「自分の家から通いやすい会社に応募する」と考えてしまう。

本来はまず、自分がどういう経験を積みたいか、そのためにどういう仕事を選ぶか、その仕事ができる会社はどこか、というふうに抽象から具体へと落とし込みます。

つまり「どこに住むか」はそのあとのはずですが、抽象化能力が低いがゆえに思考が自由にならない。

むろんさまざまな事情で引っ越しをしないことが最優先になることもあるとは思いますが、独身者でもいまの住居を起点にしてしまう人がいます。そしてそれが選択肢を狭める要因になっているかもしれないことに気がつかない。

あるいは人間関係でも、「苦手な人とどうつきあっていくか?」というふうに考えてしまう。

これも多少はやむを得ない側面もありますが、抽象度を上げれば、「そもそも苦手な人とつきあわないようにするにはどうすればいいか?」といった発想が出てくるはずが、そこに考えが及ばない。

そこまで視点を引き上げることができないから、見える景色が川下から抜け出せない。

このコラムのように「富裕層は~」などという話も、具体的事実や事象を抽象化して紹介しているわけですが、「富裕層はそんなことしない」「データで示せ」という意見が出るのは具体の世界、つまり川下でしか生きていないからです。

「自分の業界・会社は違う」「自分は違う」という人も、抽象的思考力が弱いから、他業界・他社・他人の成功パターンや要諦を抽出して応用して自分に適応させるということができない。彼らは自分が見えていないことにも気がついていません。

そして、抽象化能力の低さがこうした小さなことから大きなことまで人生の全方位で発揮され、それが何年も何年も継続され、やがて大きな差となってしまうのです。