「模倣犯」がほしい情報をテレビが垂れ流し
このように例は他にも枚挙にいとまがない。例えば、昨年から続く小田急線刺傷事件、京王線刺傷事件、大阪ビル火災なども同様だ。メディアが事件を大きく取り上げて、スタジオのコメンテーターたちが「なぜ模倣の連鎖が続くのでしょう?」と議論して大騒ぎをすればするほど、前の犯行をコピペしたような模倣犯が次々と生まれている。
冷静に考えれば、当然だ。現場に大挙して押し寄せて、中継をしながらどういうふうに凶行が繰り広げられたかを事細かにリポートするなど、「模倣犯」にとっては喉から手が出るほどほしい情報を朝から晩まで垂れ流している。
おまけに、犯人の顔写真を繰り返し放映して、スタジオでは立派な肩書の専門家やタレントが、「社会への不満が爆発したのではないでしょうか」とか「コロナ禍で孤立が深まっていて、このような人が増えているのでは」なんて感じで“悲劇の主人公”のように持ち上げている。
「なるほどね、オレもああやれば、こんなに世間は注目して大騒ぎになるのか。よし、どうせ死ぬんだから思いっきり目立ってやるか」
そのように勘違いをして、米銃乱射件事件の犯人や、通り魔事件を起こした人間のように、同じアクションに走るというのは容易に想像できよう。実際、大阪ビル放火事件の死亡した容疑者は、犯行前にスマホで「史上最悪の事件」を検索していたという。
アメリカでは「悪名を広めるな」という団体が発足
筆者も凄惨な事件を起こした犯人や、複数の人を殺めた犯人などに実際に会って話を聞いた経験があるが、彼らの多くは、過剰なほど自己顕示欲がある印象だ。「いつ死んでもいい」などと自暴自棄的なことを言う一方で、自分の人間性や、犯行の手口などを間違って報道されたりすると常軌を逸した怒り方をする。
矛盾をしているが、自己破滅的な事件を起こしておきながら、自分が世の中からどう見られるかということを異常なまでに気にするのだ。
2012年7月20日、アメリカで起きたオーロラ銃乱射事件の遺族は、報道が模倣犯側に及ぼす悪影響を防ぐため、「No Notoriety(悪名を広めるな)」という団体を発足している。その名の通り、事件を起こした人間にフォーカスせず、有名人にしない事件報道をメディアに求めている。
日本のメディアでは、これまで「報道の自由」の名の下に、事件を起こした人間が望むままに持ち上げて、「有名人」に仕立て上げてしまっていた。それが社会と、「模倣犯」にどんな悪影響を及ぼすのかをそろそろ真剣に考えなくてはいけないのではないか。