寒い中、モデルルームで立ったまま客を待つ。コピーした広告をポストに500枚、1000枚入れて回った。服装もスーツから作業着に変わった。こんなことをするために大学に行ったんじゃない、とマイナス思考に陥った。
「ところが、当の部長が昇進しちゃった。感覚でしかモノを言えないし、ただ話を引っ張ってきただけで不動産のことなんて知らないのに、点数稼ぎはうまくやったんでしょう。部下が売った物件も自分が売ったことになっていたし、『夜10時までかけて口説き落とした』などなど、手柄はすべて自分のもの。そりゃ、現場は怒りますよ」
体重が5キロやせた。飲みにもいけない。休日が合わないから友人とも会えないし、疲労で出かける気にもなれない。交際していた女性ともすれ違いが続き結局別れた。楽しみが何もなく、ストレスだけがたまった。
「物件の所在を示す矢印の貼り紙は、無断で電柱に貼ると違法になる。警察に3回呼ばれました。覆面パトカーに尾行され、写真も撮られた。尋問されたら『自分の判断でやった』と答えることになっていますが、罰金10万円は会社と5万円ずつ折半。ボーナスから引かれました。営業車のバンパーをぶつけたら、他の社員がぶつけていた個所の修理代もまとめてカウントされ、計15万円。それも会社と折半。経費を請求しにいったとき、『そんなに!?』と経理の子がつくため息は胃にこたえますよね」
お金を使う暇もないからまあいいか、と登記印紙代も請求しなくなった。今は俺の人生の時間じゃない、時間を一時停止させよう……と自分に言い聞かせた。そんな日々が4年続いた。
「総務部長が昇進した後の繰り上がり人事で、経験者を1人募ることになった」
そこで運よく声がかかり、元の部署に戻ることができた。嫌な仕事から離れられた。が、同時に営業では不要だとリストラされたようなもの。心中は複雑だ。
「『いつか絶対人事に戻ってやる。そして9時・5時勤務、土・日休み、有休取り放題の部署にいる輩をここに送り込んで辞めさせてやる』という一念が支えでした。頑張ってこの部署を拡大して、人をたくさん呼んで、俺と同じ思いをさせてやる、と」
苦笑混じりにそう言うが、半分は本気のよう。井上さんは今、密かに手ぐすねを引いている。
※すべて雑誌掲載当時