佐藤のチームづくりは、社内の壁を越えて生産、営業、資材などの部署、さらに社外のクリエーター、広告代理店、パッケージメーカーの担当者にも入ってもらう。社内外に垣根のない混成チームだ。

「メンバーは、上下関係なく、みんなフラットだと言い渡してあります。立場でものを言うな。外部内部も、上司部下も関係なく、自分の考えを遠慮なく述べろと」

しかし、そのチームは民主主義ではない。さまざまな意見は出してもらうが、決めるときは多数決や中庸を取らない。リーダーたる「確信犯」がすべてを決めるのだ。そうしないと、斬新なアイデアは生まれないという。

佐藤が「フリー」の成功を確信したのは、「0.00%」という文字を見たときだ。

従来のノンアルコールビールは、ビールテイストを出すためわずかながらも発酵させ、0.5%程度のアルコールが含まれていた。これでは、車を運転する者は迷ってしまう。「0.00%」には、その不安を払拭させる力があった。

「0.00%」を他社に先んじて実現できたのは、「飲料とビールをチームでインテグレートさせた」結果だという。まさにチーム力の勝利だった。

しかし、このようなやり方を実現するために、佐藤は長い苦悩の時期を過ごさなければならなかった。

1990年3月末、佐藤はキリンビール本社の商品企画部に異動になった。それまでは関東支社で「ゴリラ」と称される辣腕営業マンだった。ところが、アサヒビールの「スーパードライ」を見て、「やはり商品力が大切だ」と思い、転属を願い出て、認められたのである。

新しい強力な商品を開発しようと、やる気満々の佐藤だったが、現実は厳しかった。新商品を世に送り出すどころか、社内の決裁さえ得られない日々。焦る気持ちと、会社に行きたくない思いを抱えるだけだった。そして、3年後には商品開発部門を「クビにされ」、既存商品のマーケティング部門に回される。