「走り書きのメモ」は1日以内に書き直す
これら3つに共通するのは、ツェッテルカステンの「走り書き」「文献メモ」「永久保存版のメモ」の3つのメモのカテゴリーを混同すること。メモの数が増えるに従ってメリットが減少してしまいます。
学習を深め、知識を収集すればするほど、メモはもっと有用になり、より多くのアイデアが組み合わさって新しいアイデアが生まれるはずです。そして、知的な文章を少ない労力で生産するのも簡単になります。
各種のメモの目的をじっくり考えてみましょう。
走り書きのメモは、他のことで忙しいときにアイデアをすばやくとらえるためのものです。会話をしているとき、講義を聴いているとき、実験の結果が出たとき、取材をしたとき、注目すべきことを小耳に挟んだとき、用事の消化中にアイデアが浮かんできたときなどは、作業を中断しないでできるのは走り書きのメモをとることぐらいです。
読書中でさえ、読む流れを遮らずに文に集中したいときにはこれが当てはまります。それなら、文に下線を引いたり、余白に短いコメントを書き込んだりするぐらいで済ませたいと思うかもしれません。
しかしここで重要なのは、下線を引いたり、余白にコメントを書き込んだりする行為も、一種の走り書きのメモであり、テキストを自分の言葉で説明するには一切役に立っていないことです。
処理しないかぎり、すぐに無用の長物になります。
あとで見直さないことがわかっているなら、そのようなメモをとるのは最初からやめましょう。代わりに、適切なメモをとりましょう。走り書きのメモは、およそ1日以内に見直して、あとで使える適切なメモに書き直す場合に限って有用なのです。
走り書きは時間が経つと内容を忘れてしまう
走り書きのメモは、アイデアの理解や把握には使えますが、文章を書くプロセスの後半では役に立ちません。本に書き込んだ下線が、主張を発展させるために必要なときに出てくることがないのと一緒です。
こうしたメモは、まだ自分の言葉で説明する時間がとれていない思考を思い出すためのものにすぎません。いっぽう、永久保存版のメモは、メモをとった文脈をすっかり忘れてしまっても理解できるように書かれています。
ほとんどのアイデアは時間の試練に勝てませんが、一部は大きなプロジェクトの種になることがあります。
残念ながら、プロジェクトが化けるかどうかをすぐに見分けるのは困難です。だからこそ、アイデアを書き留めるかどうかのしきい値はできるだけ低くする必要がありますが、それを1日か2日のうちに自分の言葉で説明するのも同じぐらい重要です。
メモの内容が理解できなくなっていたり、やけに平凡に思えたりしたら、メモを長く放置しすぎたサインです。前者は、メモが思い出させてくれるはずの中身を忘れてしまった状態です。後者は、メモに意味を与えていた文脈を忘れてしまった状態です。