自分をどう評価するのは自分だけの課題

アドラー心理学では、そのように他者の課題に踏み込むことを良しとしません。

一方で自分が自分をどう評価するかというのは、自分の課題です。なぜならば、最終的に自分をどう評価するか決定を下すのは自分自身に他ならないからです。そのため、他者が自分自身をどのように思おうと、自分が自分自身をどのように思うかに対しては一切の影響を持ち得ないのです。

アドラーが生きた時代と現在とでは、コミュニケーションのあり方が大きく異なっています。私たちは、インターネット上でどんな時でも他者とつながっている社会の中に生きています。その社会は、SNSなどを通じて他者の視線に常にさらされていると心理的に感じてしまいやすい構造になっています。

いつでもつながれるのは便利ではある一方で、必要以上に人間関係の悩みを抱えやすくなってしまっています。そんな社会の中にいると、他者の目線を必要以上に気にしてしまうものです。

しかし、アドラーが提唱する「課題の分離」の考え方は、そんなしがらみの中から私たちを解放してくれます。

他人が自分をどう思うかというのは、結局のところ自分にはどうすることもできないのだから、そのことについて一喜一憂する必要はない。自分自身をどう評価するかを最終的に決めるのは自分なのだから、他人からの評価で傷つかなくてもいいのだと、アドラーは教えてくれます。

劣等感は理想の自分とのギャップから生まれる

さて、そんなアドラーですが、幼少期は辛い思いも多くしたようです。

アドラーは1870年2月7日に、オーストリアの首都ウィーンにて、ハンガリー系ユダヤ人の父とチェコスロヴァキア系ユダヤ人の母との間に生まれました。家庭は裕福で6人の兄弟がおり、アドラーは次男でした。

しかし、アドラーは幼い頃から兄弟の中でも体が弱く病弱で、くる病という骨が曲がってしまう病気が原因で体を思うように動かすことができませんでした。4歳の時には肺炎を患い、生死を彷徨う経験もしました。成人しても身長は154cmと小柄でした。

そのような過去もあり、アドラーは他者と自分とを比較し劣等感を感じていました。

その後、アドラーはウィーン大学の医学部を卒業し眼科医、のちに内科医として活動します。

診療所の近くには遊園地があり、アドラーのもとを訪れる患者は大道芸人など、自らの身体能力で生計を立てている人が多くいました。患者の中には幼少期には体が弱かったものの、努力によってそれを乗り越えたり逆に活かしている人が多くいることを知ります。

そうした経験からアドラーは、身体的なハンディキャップは必ずしも劣等感につながるものではないのだと気づきます。

アドラーは、私たちが感じる劣等感というものは主観的なものであり、他者との比較によってだけではなく、理想の自分との比較によっても感じるものであると考えます。