他者の問題に介入しすぎてはいけない

ここで重要になってくるのは「誰の課題か」という点です。

例えば「宿題をするかどうか」については、宿題を与えられた人(例えば子供)の課題であり、その他の人(例えば親)の課題ではありません。また、「相手のことをどう思うか」については、思う側の課題であって、思われる側の課題ではありません。

親と、うつむいている子供
写真=iStock.com/takasuu
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いったいどちらの課題なのかを判断する基準は、「最終的に決定を下すのは誰か」で決まります。宿題をするかどうかを最終的に決めるのは、宿題を与えられた人ですし、相手をどう思うかを最終的に決めるのは、思う側です。

「課題の分離」では、他者の課題なのか自分の課題なのかを見極め、他者の課題なら踏み込まないし不用意に考えない、そして自分の課題なら他者に決定させないという態度を重要視します。

他者の判断に一喜一憂してもつらいだけ

「陰口を言われても嫌われても、あなたが気にすることはない。相手があなたをどう感じるかは相手の課題なのだから」

これはアドラー自身の言葉ですが、「課題の分離」の考え方が反映されています。他の人が自分をどう評価するか、というのはその他者の課題です。なぜならば、最終的に自分についてその人がどのような評価を下すかを決めるのはその人自身だからです。

もしその人が自分に対して良い評価を下したのなら気分が良いでしょう。

もしその人が自分に対して悪い評価を下したのなら気分が悪いことでしょう。

しかし、気分が良くなろうが悪くなろうが、最終的な決断を下す他者の評価に対して、一喜一憂したり、はたまた評価を訂正するように迫ることは、そもそも不可能なことであるばかりか他者の課題に踏み込むことになってしまいます。