美術監督はまだアトラクションに絵を描いていた

ウォルトはぶらぶらと、未完成のパーク内を歩きつづけた。ぶらぶらというと、もっとのんびりした動きをイメージするかもしれない。

53歳でやや太り気味、ヘビースモーカーだったウォルトだが、この数カ月、彼が驚くほどすばやく動き回れるということにみな驚かされてきた。機械仕掛けのワニや、まだ水の張られていない川床をチェックしようと車で移動していたスタッフが、徒歩のウォルトに追い抜かれることもあった。

作業現場に構えたスタジオでは、ウォルトの左眉はしょっちゅうつり上がっていた。ときとして、ウォルトは冷たく、よそよそしく、ほめ言葉などめったに口にしないようなところもあったが、偉そうにすることはなかった。パーク完成を控えて大所帯となった作業員たちと一緒に、よくテントで豆とソーセージの煮込み料理を食べていたものだ。

1946年5月17日、ウォルト・ディズニーの広報写真
1946年5月17日、ウォルト・ディズニーの広報写真 (写真=Boy Scouts of America/ Images with extracted images/Wikimedia Commons

ウォルトは、美術監督のケン・アンダーソンに出くわした。もう何日も立ちっぱなしで、ふらふらになりながらアトラクションに絵を描いていたアンダーソンに手を貸そうと、ウォルトも筆を取った。

作業が終わると、ウォルトはアンダーソンとメインストリートをくだり、タウンスクエアへと向かった。20世紀初頭の商店が建ち並ぶ、夢いっぱいの空間だ。

ふたりは縁石に腰かけ、オレンジ郡の大地ににぶい光を放つ路面電車の線路を眺めた。線路は舗装すらされていない。ウォルトはお気に入りのチェスターフィールドのタバコに火をつけたが、吸い終わらないうちに作業員がひとり走ってきた。「『トード氏のワイルドライド』に電気が通ってません! 誰かが電線を切ってしまったらしくて」

アンダーソンがしぶしぶ立ち上がる。「大丈夫だよ、ウォルト。わたしが見てくるから」そう言うと、騒音が響く闇の中へと消えていった。

水飲み場とトイレのどちらかしか設置できない

空気は重く、息苦しい。ひどく暑い一日になりそうだった。それでも、ノアの洪水みたいな大雨になるよりましだ。つい最近も、ここは水浸しになったばかりなのだ。この辺で休もうと決め、ウォルトはタウンスクエアの建物のひとつである消防署に歩いていった。裏手の階段をあがり、2階のアパートに入る。小さな部屋だが、半世紀前の上流中産階級の家を思わせる、かわいらしい装飾が施されていた。

ウォルトは、これまでに下してきた数えきれないほどの決断を振り返り、果たして自分の決断は正しかったのかと考えた。細い窓の向こうでは、目の回るような大騒ぎが繰り広げられている。配管工が直前までストライキをしていたせいで、水飲み場とトイレのどちらを設置するかも決めなければならなかった。「喉がかわいたらペプシ・コーラを飲めばいい」ウォルトはひとりつぶやく。「でも、通路で用を足すわけにはいかない」

その通路も、まだできていなかった。遠くのほうから、アスファルトを注ぐトラックの恐竜のようなうなり声が聞こえてくる。オープンした暁には、明るい太陽の下、大勢の人々――政治家、映画スター、鉄道会社の重役、それに山のような子どもたち――がその道を歩くことになる。