アニメで日本がアジアの『下請け』になる未来

ここに人件費の観点を入れるとさらに日本の「下請け」感が増してきます。

真偽のほどは定かではありませんが、以下のような話すら聞いたことがあります。

すなわち、中国の経済成長と日本のアニメーターの劣悪な労働環境により、同じ作業を発注する際の中国のアニメーターの人件費が既に日本アニメーターのそれよりも高くなっていて、もはや日本のアニメーターに発注する方が中国国内のアニメーターに発注するよりも安くなっている、というのです。

だいぶ前にインタビューした某大手アニメ関連企業の幹部が、日本のアニメ産業が中国の『高級下請け』になってしまうかもしれない、という危機感を表明されていましたが、その方の予言がまさに着々と実現しつつあるのではないか、との思いを禁じ得ません。

二つの国・地域の間における創造産業の発注・下請けの国際的分業関係が時間を追って逆転していったケースというのは世界でもあまり例がないのではないかと思うのですが、今後創造産業におけるアジア地域のプレゼンスが増大していくにつれて、そのような「逆転現象」が数多く起こってくるのかもしれません。

その意味で、アニメに関する日本とアジアとの関係はそのような世界的な「地殻変動」の先駆けとして今後位置づけられていくのかもしれません。あまり嬉しくはありませんが……。

自分たちが創ったものを「届ける」フェーズを軽視してきた

世界におけるアニメの未来というものが、巷でいわれているほどバラ色なものでは決してない、というのが、私がフィールドワークを通じて抱いている肌感覚です。

それでは今後、アニメの未来のためにどうするべきなのでしょうか? 今現在自分が大まかに考えているのは、「自律性」への感覚がカギになってくるのではないか、ということです。あるいは独立独歩の感覚、と言っても良いかもしれません。「下請け化」の話が典型ですが、これまでの日本のアニメ産業は、自分たちが創ったものを世界に「届ける」フェーズをあまりにも軽視してきたのではないか、と思っています。

三原龍太郎ほか『グローカルビジネスのすすめ』(紫洲書院)
三原龍太郎ほか『グローカルビジネスのすすめ』(紫洲書院)

このフェーズにおいて自分たちが「汗をかき」ながら取り組まず、Netflixやアジアのプレイヤーに丸投げして「他人任せ」にしてきたために、「逆下請け化」の憂き目に遭ってしまっているのではないでしょうか。

どれほど良い作品を作ったとしても、それを「届ける」ところまで責任を持って自分たちの手でやらなければ、グローバルなプラットフォーマーに搾取されるだけで終わってしまいます。それらプラットフォーマーは、今でこそ日本のアニメ作品の買い付けに高い値段をつけているようですが、それが永続する保証はどこにもありません。

そして、彼らにそっぽを向かれた瞬間に、世界へ「届ける」チャネルが閉ざされてしまうおそれがある関係性というのは、構造的にとても危うく、アニメの中長期的な未来にとって良い状態であるとは決していえないと思います。やはり、自分たちの手で作ったものは自分たちの手で世界に届けるのが基本であり、そのような自律性・独立独歩の感覚を持ってこそアニメの未来が拓けるのではないか、と考えます。

そのような問題意識を持つアニメプロジェクトが出てくることを願っていますし、そのようなプロジェクトのフィールドワークを行うことができるのであれば、アニメ研究もさらに豊かになるのではないか、と思っています。

【関連記事】
【前回】「輸出量はたった4年で300倍に」茨城県がメロンの海外展開を大成功させたシンプルな手法
「日本人なら中国人の3分の1で済む」アニメ制作で進む"日中逆転"の深刻さ
「ワイン離れが止まらない」フランス人がワインの代わりに飲み始めたもの
西野亮廣「居酒屋で隣になったおっちゃんに話しかけてチケットを手売り…コスパの悪いことは本当にコスパが悪いのか」
「このままではグローバルで戦えない」社員を博士課程に送り込む島津製作所の"真の意図"