危機に直面したとき輝く2人の言葉

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生きた時代も、歩んだ人生も異なり、作風もまったく違う2人。だが期せずして、大震災後の日本人の心情に呼応したといっていい。そのことは矢崎氏も相田氏も指摘している。みすゞの詩、みつをの言葉は、戦後のめまぐるしい高度経済成長やマネーゲームに狂奔したバブルのような世相のときよりも、人々の気持ちが人間の内面に向かったときにこそ光彩を放つということを…。

現代という時代を、あえて定義すれば、不況や被災の苦しみのなかに生きざるをえない“俯き加減の時代”ということができる。地震と津波、円高で経済は疲弊し、原子力発電所事故後の放射能への恐怖が国民をむしばんでいる。

矢崎氏は「景気がいいと、誰でも時代に踊らされてしまうのでしょう。そのままなら絶望的ですが、そこから覚めることができるから人間は救われるんです。それが可能なのは、言葉が人を変える力を持っているからです。だから、みすゞの詩は声を出して読んだほうがいい」と話した。例えば「星とたんぽぽ」も、そんなひとつだといえる。

   青いお空の底ふかく、
   海の小石のそのように、
   夜がくるまで沈んでる、
   昼のお星は目にみえぬ。
         見えぬけれどもあるんだよ、
         見えぬものでもあるんだよ。

表面だけでなく、その裏側にも目を向ける。それが金子みすゞという詩人のすごさだ。矢崎氏は「彼女は人間の素(す)のところで詩作している」というが、氏のいう“素(す)”とは、みすゞの場合、純粋な少女そのままの感性である。心が感じたままを言葉にするから、読む人が「ハッ」とする。