ファイザー製やモデルナ製の新型コロナワクチンに使われる「mRNA」の技術は、かつては人体に引き起こす拒絶反応がひどく、臨床実験は不可能とされていた。40年近くもの間、多くの学者たちが挫折してきた研究だ。カタリン・カリコ氏が、この難関の研究で成果を出せた理由とは――。

※本稿は、増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

メッセンジャーRNAの研究者であるカタリン・カリコ氏は、同僚ドリュー・ワイスマンとともに、製薬会社のファイザー・ビオンテックとモデルナが製造するmRNAベースのCovid-19ワクチンの技術に関する特許を取得(=ブダペスト・2021年5月27日)
写真=EPA/時事通信フォト
メッセンジャーRNAの研究者であるカタリン・カリコ氏は、同僚ドリュー・ワイスマンとともに、製薬会社のファイザー・ビオンテックとモデルナが製造するmRNAベースのCovid-19ワクチンの技術に関する特許を取得(=ブダペスト・2021年5月27日)

mRNA研究に立ちはだかる“大きな壁”

新型コロナワクチン開発の救世主となったmRNAの研究は、昨日今日始まった訳ではない。カリコ氏と同様に、40年近く前の学術界でも、mRNAの性質に着目して研究をしていた人たちはいた。しかし、どうしても乗り越えられない壁があって、ほとんどの研究者は途中でmRNAの研究を断念してきた。

どうしても乗り越えられなかった壁。それが、mRNAが体内で引き起こす炎症反応である。

カリコ氏が渡米した頃、1980年代の研究者たちは、mRNAを人工的に作って細胞の中に入れれば、タンパク質を作ることができて、それが薬などを作る際に利用できることはわかっていた。しかし、人工的に作ったmRNAを体内に入れると、異物が入ってきたと身体が認識してしまって細胞がそれを拒絶し、激しい炎症反応を引き起こしてしまう。その結果、細胞も死んでしまうので、安全性の観点から見てmRNAを使って作った薬を実際にヒトに投与する臨床実験は不可能だと考えられてきた。

ようやくmRNAが引き起こす炎症反応を克服

その不可能を可能に変えたのが、カリコ氏とワイズマン氏の共同研究だったのだ。

RNAは大きく3種類に分けられる。mRNAの他に、tRNA(トランスファーRNA)、rRNA(リボソームRNA)があって、それぞれがタンパク質を作る時の役割を担っている。mRNAは、タンパク質を作るための設計図。tRNAはタンパク質を作る時に必要なアミノ酸を設計図に応じてmRNAに届ける(運ぶもの)。rRNAは、タンパク質の合成工場であるリボソームを構成しているもの。リボソームはmRNAに届けられたアミノ酸が設計図に見合ったものかを判断し、タンパク質に合成するのがrRNAの役割ということになる。

カリコ氏とワイズマン氏のふたりは、細胞から取り出した多種類のRNAを、別の細胞に与えた時にいったい何が起きるのかという観察を続けていた。するとある時、tRNAだけが、細胞に与えた時に炎症反応を引き起こさないことに気付いた。炎症を引き起こしてしまうmRNAと、いったい何が違うのか。

「tRNAには、mRNAにはない化学修飾(かざり)がありました。それが炎症を引き起こさない理由なのではないかと考えたのです」(カリコ氏)

RNAを構成するウリジンという物質を見ると、tRNAのウリジンにはmRNAにはない化学修飾が付いていた。つまりこれが、自分のRNAと人工的に作られたRNAを見分けるカギなのではないか。mRNAのウリジンにもtRNAと同じ化学修飾を付ければ外から入ってきたと思われず、炎症を引き起こすこともないのではないか、と。

早速、mRNAのウリジンにtRNAと同じ化学修飾を施し、それを細胞に与えてみた。すると、見事に炎症反応を引き起こさなかった。

また実験では、ネズミにこれを注入しても、拒絶反応を起こしたり、死んだりすることはなかったのだ。