9.11の報復から戦争の目的をすり替えたアメリカ

タリバンを悪魔化してしまうのは、ほとんどのマスコミに共通の論調だった。では、アメリカは平和の使者だったのだろうか。

タリバンだけでなく、多くの地方住民にとって米軍は恐怖だった。このことは、故中村哲医師が書いておられるが、地方の住民にとって最大の恐怖は、突然やってきて機銃掃射やミサイルで攻撃する米軍の方で、タリバンではなかった。

タリバンにとって、軍事作戦に従事した欧米諸国は、侵略者であり、占領者だった。タリバンは、この20年、侵略者から祖国を解放するための戦いを続けていたのである。

20年前、アメリカがアフガニスタンに侵攻し、当時のタリバン政権をつぶしたのは、9.11の首謀者オサマ・ビン・ラディンとアルカイダをかくまっていたからである。これは報復の戦争だった。

タリバンは、たとえ悪党であっても、客人として迎えた人間を敵に差し出すようなことは絶対にしない。これは、イスラムの教えであると同時に、パシュトゥン人の仁義でもある。

そこでアメリカと同盟国は、戦争を起こして一気にタリバン政権を倒した。その時、女性の人権を抑圧し、自由を認めない過激なタリバンからアフガン人を解放するという話に戦争の目的をすり替えたのである。

当時、国際社会が武力行使もやむを得ないと認めたのは、アメリカにとって自国の安全保障上の脅威であるアルカイダを撲滅するのは当然だという認識が共有されたからである。しかし、地付きのイスラム武装勢力にすぎないタリバンは、アメリカでテロを起こしていないし、そもそも外国でテロを起こす理由もなかった。タリバンが外国軍と戦ってきたのは、アフガニスタンを侵略したからである。

しかも、戦争でタリバン政権を倒せば、ビン・ラディンを探し出せるというもくろみは外れた。彼がアメリカ軍の攻撃で殺されるのは、それから10年も経った後のことで、しかも場所はアフガニスタンではなく隣国のパキスタンだった。

女性の人権は機銃掃射と引き換えに拡充するものではない

アメリカは行きがかり上、アフガニスタンを自由で民主的な国に造り変えるというプロジェクトに乗り出したが、結局、部族や軍閥から成る新政権を維持するには、彼らに資金をばらまくしかなかった。さらに、粗末な武器で抵抗してくるタリバンから、首都カブールを守るために、莫大な資金を投じて民間警備会社を雇うことになった。

結局、不正、腐敗の温床だったアフガン政府は、国民の信頼を得られず、あっけなく崩壊した。ガニ元大統領自身が、国民に一言の挨拶もなく海外に逃亡したことを見れば、旧政権が国家の体をなしていなかったことは明らかである。こうして、タリバンはアフガニスタン・イスラム首長国の復活を宣言したのである。

アメリカが新しいアフガニスタンで、民主主義や自由を定着させ、女性の人権拡充に努めたことは事実である。ただし、人権と自由は、機銃掃射とミサイルと引き換えに実現すべきものではない。

この20年の欧米統治の歴史を知らないで記事を書いているジャーナリストが多いのだろうか。かつて、ベトナム戦争の時、アメリカは共産主義からアジアを守るとりでとして戦争を続けたものの敗れた。あの時は、米軍がベトナムで非道な行為を続けたことが、戦場からのジャーナリストの報告で明らかにされ、アメリカ国内にも反戦の動きが広がった。

アフガニスタンでも、過去20年に何が起きていたかを継続的に取材していたら、もう少し、アフガン人がタリバンをどう見ていたかを正確に報道することができただろう。アメリカと同盟国の軍が、どれだけ誤爆で一般住民を殺害したかを、もう少し正確に報じることもできたはずだ。

カブール陥落以来、日本を含めて外国メディアが報じた「現地からの声」は、ほとんどがカブールにいて、英語を話すことができる若い人たちだった。彼らは、ほんの一握りの存在である。

米軍によって厳重に守られていたカブールに、タリバンはいなかった。彼らは、直接タリバンを知らない。タリバンに対するイメージは、20年以上前の冷酷な支配の時代を知っている年長者からの伝聞にすぎなかった。彼らの恐怖を嘘だと言うのではない。しかし、現地の声を報じるなら、過去20年の間にタリバンが徐々に浸透していった地方住民の声も併せて聞くべきだった。