意図が強かったからこそ失敗した
SNSはユーザーがコンテンツを投稿することによって事後的に方向性が定まることを考えれば、企業の狙いや都合よりも、ユーザーが楽しめる場を手探りで作っていく過程が重要だと言うことができるでしょう。
裏を返せば、SNSではユーザーがサービスに意味を見出し、生活に定着するまでの期間は、企業側の都合を感じさせてはならない、ということでもあります。
その観点で見ると、グーグルプラスにユーザーが熱狂しなかった理由も見えてきます。
つまり、アカウントの統一や実名の強制などを通じて、ユーザー側にグーグルという企業の存在や、その都合が見えすぎてしまっていた、ということです。ましてや、既に友達も参加していて、使い勝手も感覚的に理解しているフェイスブックの存在が身近にあるわけです。フェイスブックから乗り換えてまでグーグルに貢献する必要もない……そういう冷めた目で見ていたユーザーが多数を占めていたとしても不思議ではありません。
別の言い方をすれば、この事業は大企業だったグーグルだから失敗したと言えなくもありません。グーグルにとってはSNSサービスを始める必然性があり、明確な意図があった。その意図が強かったからこそ、失敗したという皮肉なストーリーなのです。
意図の強いビジネスは一旦仮置きする
ではグーグルは、買収以外には自力で永遠にSNSに参入できないのでしょうか。それはもちろんわかりません。SNSがユーザーの微妙な心理の上に成り立つサービスであることを踏まえると、グーグル側の都合に合わないユーザーニーズがある場合、そのニーズに素直に対応できるのか、という点にかかっているのでしょう。
時として、私たちは提供側の意図が明確だからこそ失敗する、というパラドクスに陥ります。意図が強いからこそ、「こうでなくてはならない」「ユーザーはこうであるべきだ」という思いが先行し、その強い思いがサービス内容を規定してしまう。しかし、結果的には、その無言の圧力が息苦しさを生み、ユーザー側の離反を招いてしまう……という事態が引き起こされるのです。
私たちには、そういう意図の強いビジネスであればあるほど、企業側の戦略を「一旦仮置きする」という知恵が必要なのでしょう。
それは決して簡単なことではありませんが、グーグルプラスの失敗はその「仮置きする」という知恵の必要性を強く教えてくれるのです。