古事記に登場する「何もしない神様」のメッセージ
【石川】古事記では「ツクヨミ」という何もしない神様が登場しますね。それは中動態の状態で「いる」ことの価値を暗黙に伝えていたのではないでしょうか。
世界の神話には、いいことをするから良し、悪いことをするから駄目といった話が多い中で、古事記の特徴は何もしない神様が、ただいることなんです。
【佐渡島】面白い。もともと日本文化は、中動態的なあり方が尊重されていた文化だったのかもしれない。
【石川】日本の昔話は「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」から始まる物語が多いですよね。ただおじいさんとおばあさんがいて、そこに桃が流れてきたり、光る竹が現れたりして物語が進んでいく。西洋では、はじめから主人公が主体的に行動を起こして幸せを見つけていくといった物語が多いという違いもありますね。
日本は、「ただいること」の価値を潜在的に信じていた民族なのではないかと思います。
【佐渡島】現代では、評価制度をしっかり作ろうとして、どんどん「する」ことにフォーカスするようになっていった。この資本主義交換のあり方が「すること主義」になっているので、そこからどう抜け出すかが重要だと思う。
まずは「何かをしない」から始めてみればいい
【石川】こうした話を聴くと、「じゃあ具体的に何をしたらいいの?」とスッキリ感を求めてしまいがちですが、そんなときは、まず観察してみることです。
最近、well-beingとは「自分を忘れた状態である」と定義しているのですが、「私は何をするべきか」といった因果思考では、well-doingの状態になっています。
自分というめんどうくさい存在を考え出すとdoの発想になってしまうので、自分の「する」を考えず、まず「いる」だけでいい。一緒にいること、何かをしないということから始めてみる。自分のことを考えず、ただいるだけを観察してみたらいいんですよ。
ただ、観察をしていても何になるのかわからないし、うまくいくかもわからない。因果(well-doing)の網を抜け出して因縁(Well-Being)の世界にいくというのは、実はとても退屈なことなのかもしれない。
【佐渡島】まさにそうだと思う。スケジュールがしっかり決まっていて、予定を一緒にこなす旅をしたいのか。それとも、何も決めずに行ってみて、ただ一緒にいる旅をしたいのか。それを選べばいいのだと思います。
一緒にいるだけの旅を選んでみたら、思っていたより仲良くなれた、なんてことも起こるかもしれません。
【石川】観察という視点で物事を捉えるとすごく面白い。世間には「生き方が正しくなる」ような情報ばかりですが、生き方が面白くなる考え方だなと思いました。
学生時代の友人のように、ただ一緒に過ごす時間と似ていますね。ただいるだけの時間は、退屈もしていたけれどそれを楽しめていたように思います。ジョギングをしていて信号で止まりすぎるとつまらない時間になるけど、街を観察するという生き方としては楽しい、ということと同じです。
【佐渡島】「観察力を鍛える」というのは、正しさを追い求めずに、楽しくなるための考え方なのかもしれないな。