ドラゴン桜』『宇宙兄弟』などを生み出した編集者の佐渡島庸平さんは、コロナ禍で福岡に移住した。佐渡島さんは「移住の理由は複合的だが、同調バイアスを意識したこともその一つだ」という――。

※本稿は、佐渡島庸平『観察力の鍛え方』(SB新書)の一部を再編集したものです。

福岡・シーサイドももちの風景
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人はネガティブな情報に注意を向けやすい

『ドラゴン桜』を連載している頃、認知バイアスのことを調べる中で、自分はネガティビティバイアスに大きな影響を受けていると気づいた。

未来のポジティブなことは漠然としたイメージしか抱くことができないけれど、ネガティブなことは、すぐに仔細に思い浮かぶ。からといって、ネガティブなことがそれだけ起きやすいかというとそんなことはない。なのに、悲観的になってしまう。人はポジティブな情報より、ネガティブな情報に注意を向けやすく、記憶にも残りやすい。これは「ネガティビティバイアス」と呼ばれる。

哲学者アランが『幸福論』で指摘した「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」という有名な言葉は、人間とはネガティビティバイアスに影響されている状態が一般的で、悲観を抑え、楽観的に思考するには意志の力が必要だということを簡潔に説明している。

失敗の姿が多様なことと、失敗する確率が高いことは別

自然の中で暮らしていてどこに危険が潜んでいるかわからない時代は、悲観的であることが、人の生存を助けたのだろう。バイアスが、判断の時間を短縮し、人を助けた。しかし、社会は基本的に安全になった。なのに、ネガティビティバイアスがはたらき、必要以上に人を不安に陥れ、行動を阻害している可能性がある。

とくに、しっかりと勉強ができる人は、失敗のあり方も多様に想像できる。だから、より怖くなって、行動しない理由を論理的に説明できてしまう。たとえば、自然災害が起きるかもしれない、事故に遭うかもしれない、お金がなくなるかもしれない、死んでしまうかもしれない、といったように。しかし、うまくいく姿は、凡庸でどれも似たようなものになってしまう。目指す成功に多様性はない。

トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と綴っているが、家庭だけに限った話ではない。人生も同じである。今に集中できず、未来を想像するとき、頭の中を埋めるのは失敗ばかりだ。

ここで重要なのは、失敗の姿が多様なことと、失敗する確率が高いことは別である、と知ることだ。思い浮かぶ幸せの姿が1%で、残り99%が失敗の姿だとしても、確率99%で失敗するわけではない。思い浮かぶ失敗の姿の多様さに、そればかりを想像して行動を控えがちになってしまうが、いざ動いてみるとあっさりと実現し、拍子抜けすることは多い。