他人に「見てもらうこと」と「評価してもらうこと」は違う
【石川善樹(以下、石川)】『観察力の鍛え方』を読んで、最初に浮かんできた問いは、「僕たちは自分のことをよく見ているようで、実は全く見ていなかったのではないか」ということです。
自分のことを他人の方がよく知っているってことがあるように、「自分を見る」には「他人に見てもらう」ということも含まれているのでは、と思ったんです。
【佐渡島庸平(以下、佐渡島)】そう。他人に見てもらうことで気づくこともある。ただ、ここで気をつけなければならないのは「他人に見てもらう」ことと、「他人に評価してもらう」ことは全く違う話だ、ということです。
他人が「こう見えているよ」と言っている時は、見えていることをそのまま言っているだけかもしれない。でも、他人の「こう見えているよ」という言葉を、「そんな表現をするってことは、こう評価しているはずだ」と受け手側が勝手に判断して傷ついてしまう場合だってあります。
他人が、悪意を持ってひどいことを言ってきたらつらいと感じるのはわかるけれど、ひどいことを言っていなくても、その言葉を「勝手に解釈して」つらくなっているケースというのはすごく多い。
【石川】会社の打ち合わせでも起きうることですね。
馬が教えてくれた「すべては心持ち次第」
【佐渡島】例えば、会社の1on1の時間を「耐えないといけない時間」と思っている人もいます。
僕は、今日の対談を「善樹が僕の本について感想をくれる時間」と捉えているから、この時間がとても楽しい。でも、「善樹は僕の本をどう評価するんだろう」と緊張感満載で臨んでいたら、この時間が怖いものになってしまう。
1on1にしろ、打ち合わせにしろ、他人の意見をどう受け取るかは、こちらの心持ちによるのだと思います。
すべてはこの心持ち次第だ、という発見は、「ホースコーチング」という、馬を相手にリーダーシップやチームビルドを学ぶ研修に参加してきた時にもありました。前回、善樹とも参加した時に、僕たちは馬に乗ることはおろか、馬を柵の中に連れていくことさえできなかったよね。
【石川】エサをあげてみたり、鞭を使ってみたりしたけど全然動いてくれなかった。
【佐渡島】そうそう。でも今回は、馬に乗って歩けたし、柵に戻すこともすごく簡単にできた。では、去年と何が違ったのか。それは、馬に接するときに、僕の恐怖心を消したことでした。去年は「あの馬の性格がこうだからこんなふうに接したらいいんだ」と話していたけれど、実は馬の性格なんて関係なかったんです。
僕が「全く怖がっていないよ」と馬に伝わるように接していたら、馬もそれに応えるように一緒に歩いてくれたし、背中にも乗せてくれた。ただ、恐怖心を持たずに接するというのはとても難しいことだとも実感しました。