※本稿は、見波利幸『平気で他人をいじめる大人たち』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
「言った言わない」問題が、大きな責任問題に発展
自分の感情をコントロールできない人のいじめの例をあげましょう。感情がコントロールできない人は、自分がその人を好きか嫌いかで物事を判断してしまうところがあります。
A子さんは、同僚のCさんから「嫌い」と思われたことから、いじめにあった人でした。A子さんの話によれば、Cさんに嫌われるようなことをした覚えは特にない、と言います。A子さんが噓をついているのでしょうか。私の前に座って神妙な顔つきで話すA子さんは、少なくとも噓をついているようには見えません。
ではなぜ、CさんはA子さんが嫌いなのでしょうか。こればかりはCさんに聞いてみるほかありませんが、ここで問題になっているのは、CさんがA子さんを嫌っていることではありません。というのは、たとえ相手のことが嫌いであっても、仕事上必要なことは、好き嫌いに関係なく伝えなければならないのは、社会人として当然のことだからです。
すなわち、Cさんのいじわるというのは、「必要なことをしない」という類のものでした。
この手のいじわるは、「言った、言わない」と双方で意見が食い違って、結局は水かけ論になってしまいがちです。
「故意に重要な情報を伝えない」といういじめが横行
いじめの程度としては軽いとみなされがちですが、横行するのはいじめの手段としては簡単に誰でもできてしまうからでしょう。一見、軽いいじめのように見えますが、たった一つのことを伝えなかったことが、重大なミスに発展する恐れもあるため、軽視してはいけません。
また、罪悪感が薄いというのもこの手のいじめの特徴です。いじわるをする側は、ただ伝えなかっただけで、直接手を下したわけではないと思っているのです。よくあるいじめなのですが、罪悪感を持っていないということは、反省する気もないわけですから、かなり悪質といえるでしょう。