なぜ、ノーベル賞受賞ウイークになると京都人はザワザワするのか
ノーベル賞ウイークが終わり、日本人では米プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎博士(米国籍)が物理学賞を受賞した。
この時期、ノーベル賞有力者が関係する大学や企業、地元は悲喜こもごも。特に私のいる京都は受賞者や候補者が多い京都大学があり、大勢のメディアが押し寄せるのがこの時期の風物詩になっている。さらに、地元企業・島津製作所がノーベル賞受賞者や受賞可能性のある人物との関わりが強いことも、京都でノーベル賞のニュースに関心が高い理由だろう。
科学分野におけるノーベル受賞者の多くは大学における研究者がほとんど。しかし、一部は企業人も受賞している。1973(昭和48)年に物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏は、東京通信工業(現在のソニー)などを経て、米国IBMの研究所に移籍した企業内研究者であった。
2014(平成26)年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏の受賞理由「青色ダイオードの発明」は、日亜化学工業(徳島県阿南市)在籍時に手がけた成果だ。
近年では2019(令和元)年、旭化成に在籍していた吉野彰氏がノーベル化学賞を受賞している。
だが、京都大学や東京大学のように、ノーベル賞に関わりが強いと呼べるような団体組織や企業は、日本ではまだ現れていない。だが、そんな中、科学分野で常に注目を浴びる企業がある。
島津製作所だ。島津製作所では2002(平成14)年、同社ライフサイエンス研究所主任だった田中耕一氏(現島津製作所エグゼクティブ・リサーチ フェロー)が化学賞を受賞して、世間を驚かせた。田中氏は当時、大学院も出ていない43歳の無名サラリーマンだった。学術界においても、同社においても、メディアも、全くのノーマーク人物であった。
受賞の対象となった研究成果は、「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」。従来は分子量が大きいゆえに困難を極めていたタンパク質のような生体高分子の質量分析を、正確かつ簡素に行える道を切り開いた。
「田中さんのノーベル賞受賞を機に、世界各地から多くの優秀な研究者が島津製作所に集まりだしました。同時に、島津と著名な研究者がチームを組んで研究開発に乗り出しています。その成果が、ノーベル賞受賞に結びついていくかもしれません」(島津製作所関係者)
だが、島津製作所は田中氏の受賞をきっかけにして大ブレークした新興企業ではない。島津製作所は2025(令和7)年に創業150年を迎える、国内屈指の老舗企業だ。戦前から「発明」「日本初」を手掛ける理化学機器メーカーとして、地味に知られた存在だった。