さらに、「国民からこれだけ反対の声が上がっても、意に介さず結婚の準備を進められるのは、そのための教育がなされてこなかったからではないでしょうか」(関東学院大学君塚直隆教授)と、秋篠宮家の教育に批判の矛先を向ける。

静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授は、

「国民の心のなかには、眞子さまのご結婚を放任するしかなかった皇室への不信感や失望感が沈殿していくでしょう。このご結婚によって、長年にわたって築き上げられた国民の皇室に対する敬愛の情が踏みにじられたように感じます」

こうした論調は保守系週刊誌ばかりではない。

「自由意思だけで婚姻を決めてよいものではない」と批判

読売新聞(10月2日付)はこう報じている。

「今回の結婚で問われたのは、皇族の『公と私』のあり方だった。眞子さまは好きな人との結婚という『私』を、父の秋篠宮さまは『国民の理解』という『公』を重視された。最終的に秋篠宮さまは、眞子さまの精神状態などを考慮して結婚を認められた」

その中で、宮内庁のある幹部はこう懸念しているという。

「『国民の理解』という曖昧なものが、皇室行事の可否の判断基準とされたことだ。皇室の重要行事には、宗教的な色彩の濃い大嘗祭だいじょうさいなど反対意見があるものもあり、幹部は、『国民の理解という見えないものに判断を委ね、世論に迎合すれば、皇室の存立基盤が危うくなる』と危惧する。」
「今回の結婚形式は、皇室に重い課題を残す結果となった」

何人であろうとも結婚は極めて私的なものである。それを優先させて悪いわけはないと思う。

政治家がよく使う「国民に寄り添う」という言葉同様、「国民の理解」も不確かなものではある。だがそれと世論に迎合することとは違う。

「皇室女子すら少ない現状では、今後、結婚後も皇室に残って公務の分担を続けていただく案が検討されている。そういう場合、その伴侶には公人としての品位を堅持し任務に奉仕することが望まれる。当人の自由意思だけで婚姻を決めてよいものではない」(京都産業大学所功名誉教授=産経新聞、10月2日付

こういうのを時代錯誤というのである。

悠仁さまの即位も自由意思を認めることになる?

再び週刊新潮。9月23日号では麗澤大学の八木秀次教授にこういわせている。

「眞子さまのご結婚は、佳子さまのみならず、将来の皇位継承にも悪影響を及ぼす恐れがあります。眞子さまにご結婚の自由を認めた以上、悠仁さまの即位についても自由意思を認める事態になりかねないからです。上皇陛下が生前退位された際には、そのお考えを尊重して一代限りの特例法が作られました。また、秋篠宮さまは“兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです”と即位に関するご自身の意見を述べられたとされます。となれば、悠仁さまが即位されたくないというご意思を表明された場合、それを認めないわけにはいかなくなります」