今の「普通」はバンク・オブ・イタリーが作った

今の16カ条の相互関連した要素が退屈なほど当然に思えたのなら、それはあなたが1世紀前に育ったのではないからだ。当時はこれは過激なイノベーションだった。安全に貯蓄できて必要に応じて融資にアクセスできるのは、人生を変えるし国を造り上げる。ジャンニーニは、だれでも銀行を使えるようにしたことで、無謀で過激だと思われ、他の銀行家たちに毛嫌いされた。たぶんマティーニをたしなみつつの会食の席で、直接そう告げた人もいただろう。

今日ではほとんどあらゆる銀行がバンク・オブ・イタリーを真似て、バンク・オブ・イタリーは後にバンク・オブ・アメリカになったという事実は、起業家精神と包摂の威力を物語るものだ。起業家の臆面のなさとこだわりは、やがて産業をあまりに完全に支配してしまうので、もはや戦いが存在しなくなってしまう。

でもだまされてはいけない。今や普通と思われているものの多くは、劇的な始まりを持っていた。A・P・ジャンニーニの最初のイノベーションスタックは、今やほとんどの銀行のモデルだ。「小者」のための銀行を提供しようという活動の中で、ジャンニーニは世界最大の銀行を構築した。実は大物よりは「小者」のほうがずっとたくさんいるのだ。最も小規模で貧しい顧客にうまく奉仕できるイノベーションスタックを構築すれば、巨大市場への独占アクセスが得られる。

バンク・オブ・イタリーとスクエアの共通点

ジャンニーニの体験は、何も知らない業界に飛び込もうという決断からして、うちのスクエアでの体験と驚くほど似ていた。どちらも選ばれた少数者に奉仕するよう設計された業界に入り込んだ。不正と臆病と濫用を目撃した。どうやってそれを直すか見当もつかなかった。でも部外者から見ても、いくつか基本的な問題はすぐにわかった。こちらのシステムは、それまで排除されていた人々を迎え入れ、さらには引き込まねばならない。だから反逆して作り直した。

会ったこともないこの人物の人生に、スクエアで生き抜いてきたこのパターンが繰り返されているのを見たとき、すべて筋が通って思えた。生きている人々の間でメンターが見つからなかったのも筋が通っている。というのもどの時点だろうと、革新的で、同時に成功している人はほんの数人しかいないからだ(そしてそういう人のだれかとコーヒーデートを取り付けるなんて冗談でも無理だ)。この種のメンターが、世界を一変させるビジネスと同じくらい珍しいのも当然だ。そうした人のほとんどがぼくの人生の間に生きていないのも当然だ。ほとんどの人が成功するのは他の成功した人々を真似たからだ。でもぼくはちがう道をたどった。