葬儀で働いても「お疲れ様」の一言もない
ここらでは行政の最小単位は「区」といわれる。
町や村はいくつかの「区」でできている。その「区」はさらに住民単位である「組」に分かれる。数軒から十数軒ぐらいの家がひとまとめにされて、それぞれ割り振りが決まっている。
区で行われる催しや行事、作業などは、「組」単位で輪番制の当番となる。
この土地で暮らし始める前、仮住まいをしていた八ヶ岳南麓の村では、地元の「組」に入らないとゴミ出しができなかった。
その「組」に入ってじきに近所の老人が亡くなり、葬式の手伝いにかり出された。
朝から晩まであれやこれ汗水流して働いて、無事に葬儀を終えてホッとしたが、「お疲れ様」のひと言もない。翌日から、また元通り、無愛想な顔を向けられるばかりだった。
地元の人たちとの関係って、こんなもの? と、さすがにがっかりした。
移住者たちも変人ぞろい
ところが今の土地は、そこまで深い付き合いを強要されない。
逆に、よそ者をあまり村内に入れたくないような印象があった。
ゴミ出し当番にはくわえていただき、資源ゴミつまりリサイクル供出の手伝いをしたり、ゴミステーションのカギ開け当番をするぐらい。区費もとられないが、地元消防団の消防負担金だけは徴収された。それぐらいの関係である。
そんな中で、「あいつは愛護団体だ」とか「あいつがマスコミを呼んだおかげで、田畑が獣に荒らされるようになった」などという噂が流れた。それでも、直に何かをいってこられたことはなく、むしろ互いの関係はドライなままだったといえる。
それはひとえに我が家が地元民の集落からかなり離れた場所に位置していたからだろう。もしも集落の中に家族と住んでいたら、きっと周囲からの視線や陰口に耐えられなかったはずだ。
一方、私が住んでいる地区の移住者たちは、自分も含めて変わり者が多く、きわめて変人ぞろいである。私が移住してくる前の話だが、彼らは地元から「組」という単位でまとめられることを嫌った。
そうすると「組外」と呼ばれるようになって、さらに臍を曲げた。
そんなわけで自分たちをどういうわけか、「チロリン村」といい、その「村民」といっていたが、いつの間にか代替わりをして、私がこの「チロリン村」の「村長」に押し上げられてしまった。